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国鉄キハ391系気動車

国鉄キハ391系気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が1972年(昭和47年)に試作したガスタービンを動力とする試験用気動車である。

国鉄キハ391系気動車
キハ391-1(2000年 大宮工場)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
製造所 国鉄大宮工場[1]
製造年 1972年
製造数 1両(3車体1ユニット)
主要諸元
軌間 1,067 mm
設計最高速度 130km/h
車両定員 112
全長 41,100 mm
全幅 2,900 mm(Tc車)
2,950 mm(M車)
全高 4,090 mm(Tc車)
3,300 mm(M車)
車体 アルミニウム合金(Tc車)
普通鋼(M車)
台車 横圧軽減装置付き空気バネ台車
動力伝達方式 歯車式
機関 IM100-1Rガスタービン
機関出力 1,050 PS / 21,300 rpm
制動装置 (電磁自動ブレーキ) (CLE)
機関ブレーキ
保安装置 非常時交互点滅灯、ATS
備考 参考文献『鉄道ピクトリアル』1972年6月号 p.44
(テンプレートを表示)

概要

1967年(昭和42年)に運輸省(現:国土交通省)から援助を受けた日本車両工業協会(現:日本鉄道車輌工業会)が開発を始めたガスタービン機関によるターボトレインの研究開発に端を発している。日本鉄道工業協会が1970年(昭和45年)に国鉄の旧型ディーゼル気動車である(キハ07形(キハ07 901))に航空機に使われるガスタービン機関を搭載して基礎研究が行われ、このデータを基に国鉄が大宮工場(現:大宮総合車両センター)で1972年に試作したのが本形式である[2]

本形式のようなガスタービン気動車は、アメリカやカナダ、フランスなどでの運用実績がある。

仕様・構造 

車体

動力車を中間に置くTcMTc編成の3車体の連接車としており、両端の先頭車(Tc)は国鉄の特急形気動車で初となる軽合金車体を採用し、重量を軽減した。さらに低床化と振り子構造を採用することで、曲線部での高速走行を可能とした[2]。デザインはキハ80系キハ181系に準じた貫通型であるが、貫通扉周囲には幌枠が無く、運転席部分と客席部分の車高の段差が大きくなった独特の形状をしており、愛好者の間では『ツチノコ』と呼ばれた。中間車体は振り子構造ではなく、出入口とガスタービン機関だけが搭載されており、その全長は6m前後と短く、先頭となる2車体に客室を持っていた[3]。車内には591系電車と同じ簡易リクライニングシートが少数装備されていた。

メカニズム

ガスタービン機関は石川島播磨重工業ゼネラル・エレクトリックとの技術提携によって国産化したIM100-1R型(1,100PS)を搭載し、当初は改良型の2R型、将来的には川崎重工製のKTF14型の搭載も考慮されていた。

台車は重心を低くするために800ミリ径車輪を採用したDT97・DT98が採用された。

ブレーキ装置はキハ181系と同じCLE系(電磁自動空気ブレーキ)(C16B)を採用しており、高速用に性能を向上させている。運転席もキハ181系と同じ横軸式を採用した。

試験とその後

 
大宮総合車両センター内で保存されているカットモデル(2019年5月)

新造直後の1972年4月7日から28日に川越線で慣らし運転を実施後、6月6日から9日に山陰本線・伯備線(米子 - 江尾 - 上石見)、6月20日から23日に山陽本線岡山 - 吉永)、6月28日に山陰本線・伯備線(米子 - 黒坂 - 新見)で走行試験を行った[4]

10月5日の走行試験において、米子駅構内にてクラッチの破損事故が生じた。その後、減速機の改造や排気消音機の改良がおこなわれ、1973年(昭和48年)2月13日から15日に田沢湖線盛岡 - 田沢湖 - 羽後長野)、2月16日・17日に田沢湖線・奥羽本線(盛岡 - 大曲 - 秋田)で、2月18日には山田線で耐寒耐雪試験を行った[5]

その後は高速度試験に用いられた。3月7日から9日に伯備線(伯耆大山 - 生山)、同月12日から14日に山陰本線(米子 - 鳥取)、同月22日から24日に山陽本線(岡山 - 吉永)で行われ、最高速度130km/hを記録し、振り子の性能も591系と同等もしくはそれ以上であることが確認された[5]

しかも、投入予定線区の電化が決定したことやオイルショックの発生による燃料価格の高騰に伴うガスタービン気動車の将来性、ガスタービンエンジンによる騒音問題、安定した運用への疑問などから量産化が断念され[2]1973年の試験運用終了後は米子機関区で留置された状態が続いていた。その後、鉄道技術研究所に移動したのち1986年に除籍となり、大宮総合車両センターに移動した。

長らくガスタービン機関を撤去した状態で留置されていたが、2015年初頭に片側の前頭部を残して解体された。残された前頭部はカットモデルとして同センター内に保存されている。

脚注

  1. ^ 『幻の国鉄車両』p.141
  2. ^ a b c 久保田博「秘録 鉄道車両史」『鉄道ジャーナル』第278号、鉄道ジャーナル社、1989年12月、128-129頁。 
  3. ^ 『仰天列車―鉄道珍車・奇車列伝』秀和システム、2006年、45-47頁。ISBN (978-4798015477)。 
  4. ^ 石川幸孝・岡田誠一・小野田滋・齋藤晃・沢柳健一・杉田肇・高木宏之・寺田貞夫・福原俊一星晃 編『幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車』JTBパブリッシング、2007年、141,142頁。(ISBN 9784533069062)。 
  5. ^ a b 石川幸孝・岡田誠一・小野田滋・齋藤晃・沢柳健一・杉田肇・高木宏之・寺田貞夫・福原俊一・星晃 編『幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車』JTBパブリッシング、2007年、142頁。(ISBN 9784533069062)。 

参考文献

関連項目

外部リンク

  • ターボトレインのサイト 本系列のデータや検討されていた実用化案などを記載
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