朝鮮半島における国連軍(こくれんぐん、英: United Nations Command・UNC、朝: 유엔군)は、1950年に勃発した朝鮮戦争において組織された多国籍軍である。2023年現在も活動中であり、日本の横田飛行場に後方司令部を置く。朝鮮国連軍とよばれることもある[1][2]。
概要
国連軍司令部 United Nations Command : UNC | |
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創設 | 1950年7月 |
国籍 | 18か国[3] |
兵力 | 50人余(2019年)[3] |
基地 | 大韓民国 京畿道平沢市 ハンフリーズ基地[3] |
主な戦歴 | 朝鮮戦争 |
識別 | |
バッヂ | |
1950年6月25日(現地時間)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が大韓民国(韓国)に侵攻し、朝鮮戦争が勃発した。国際連合安全保障理事会は、ソビエト連邦が欠席しているため、アメリカ合衆国が主導し、6月25日の国際連合安全保障理事会決議82にて北朝鮮の武力攻撃を非難し、韓国への援助を求めた。
アメリカは、韓国政府からの要請を受けて6月27日に軍事介入を決断しており、安保理も、6月27日の国際連合安全保障理事会決議83にて軍事援助を認めている。7月7日、国際連合安全保障理事会決議84において、北朝鮮に対抗するために、アメリカが指揮を執る多国籍軍の編成を要請した[4]。
多国籍軍については、アメリカ軍の司令官が指揮を執り、参加各国の国旗とともに国際連合の旗を使用する権限(Authorizes the unified command at its discretion to use the United Nations flag)が与えられている。この軍は、国際連合憲章第7章に基づく、安保理が指揮する国連軍ではないが、国際連合の決議に基づき、その名称使用が認められている[5]。
7月8日に、ハリー・S・トルーマン大統領は、ダグラス・マッカーサーを国連軍司令官に任命した[6]。国連軍には、イギリス、トルコ、フランス、ベルギー、カナダなど16ヶ国が参加し[4][5]、国連非加盟であった大韓民国は、1950年7月15日の大田協定により、作戦指揮権(operational command)を国連軍に委ねている[5]。7月30日、国連安保理は国際連合安全保障理事会決議85を可決してマッカーサーを司令官とする国連軍を承認した。
1953年7月の朝鮮戦争休戦協定は当時国連軍司令官だったマーク・W・クラークも署名し、国連軍が当事者となっており、以後も組織は存続している。このうち、アメリカ軍と韓国軍については、1978年11月に米韓連合司令部(ROK-US Combined Forces Command,CFC)が設置され、連合部隊として指揮される[5]。なお、作戦指揮権は、1954年に作戦統制権(operational control)に名称が変更されている[7]。
国連軍司令官と米韓連合軍司令官は兼職であり、アメリカ軍人がその地位にある[5]。ただし、国連軍司令官は、休戦協定の維持が責務であり、統合参謀本部の隷下にあり、参加各国軍(主力は米韓連合軍)の指揮を行うのに対し、米韓連合軍司令官は、米韓の合同組織である軍事委員会の隷下にあり、韓国防衛が責務で、米韓連合軍の指揮を執るとの差異がある[8]。
結成当時アメリカやイギリスなどの連合国軍の占領下にあった日本はこの国連軍に参加してはいないが、設置時の司令部は、当時日本の占領を指揮していた連合国軍最高司令官総司令部の本拠地があった東京にあり[2]、1951年に吉田・アチソン交換公文が交わされ、占領を脱した後の1954年に「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)が締結されたことに基づき、国内に国連軍施設が設置されている[5][9]。1957年に司令部が韓国に移転した[5]後も、後方司令部がキャンプ座間に置かれ、これは2007年に横田基地に移転している[9]。2018年1月16日に北朝鮮情勢を受けてアメリカが朝鮮戦争当時の国連軍派遣国[10][11]に呼びかけてカナダで開催された外相会合でも日本は関係国として招待[10]されて出席している[12][13]。
休戦時点の兵力
1953年7月27日の休戦時点で、国連軍の総兵力は932,964人であり、参加各国別の兵力は以下の通り[14]。
日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定
1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定の発効を受けて、日本は1954年2月19日にアメリカ合衆国(米国)、カナダ、ニュージーランド、イギリス(英国)、南アフリカ連邦、オーストラリア、フィリピンの7カ国と署名を交わし、「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定(国連軍地位協定)」を結んでいる[15][16][17][18][19][20]。同年4月12日にフランスと、同年5月19日にイタリアと追加署名を交わし[15]、同協定は同年6月11日に発効している。のちにタイ王国とトルコが協定に加わり11ヶ国となる[2]。
国連軍後方司令部
(国連軍後方司令部) United Nations Command–Rear : UNC-R | |
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国連軍後方司令部司令官交代式 2016年1月26日 | |
創設 | 1957年7月 |
国籍 | 10か国 |
兵力 | 4人(1999年) |
上級部隊 | 国連軍司令部 |
基地 | 日本 東京都福生市 横田飛行場 |
識別 | |
バッヂ | |
1957年7月、同協定に基づきアメリカ太平洋軍第8軍司令部隷下の在日米陸軍・国連軍・第8軍後方司令部としてキャンプ座間に「後方司令部(英: United Nations Command-Rear, UNC(R))」が設置され、1959年3月、第8軍後方司令部の役割を解除されて「在日米陸軍・国連軍後方司令部」となり、2007年11月1日、横田飛行場に移転した。司令部には、司令部要員として4名が常駐しているほか、各国大使館に駐在武官の兼務を含めて23人の連絡将校団が常駐。3~4ヵ月に1回程度の頻度で情報交換のための非公式会合を行っている[21]。
同協定第24条によれば、国連軍後方司令部は朝鮮半島から国連軍が撤退するまで有効で、国連軍撤退が完了したのち90日以内に日本から撤退しなければならない。
2014年1月現在、国連軍に認められた後方司令部の構成国は、米国、英国、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国である[22][23][24]。
2019年7月の国連軍合同会議で、国連軍と日本政府の間で「日本における国連軍に係る事件・事故発生時における通報手続」が合意された[2]。
国連軍施設
在日米軍基地のうち、座間と横田を含めた次の7カ所が協定に基づく国連軍施設に指定されている。
- キャンプ座間(神奈川県座間市・相模原市南区)
- 横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)
- 佐世保海軍施設(長崎県佐世保市)
- 横田飛行場(東京都福生市・瑞穂町・武蔵村山市・羽村市・立川市・昭島市)
- 嘉手納飛行場(沖縄県中頭郡嘉手納町・中頭郡北谷町・沖縄市)
- 普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)
- ホワイト・ビーチ地区(沖縄県うるま市)
現在も、必要に応じて国連軍参加各国が国連軍基地を使用している。国会答弁等から分かる使用実績は次の通り。
- (1997-1999年)艦船7隻、航空機23機が寄港・飛来[21]
- (2000-2002年)艦船寄港21回、航空機着陸10回を記録[25]
- (2006年,2009年)北朝鮮の核実験に際して、大気観測を行う英軍機VC10が国連軍地位協定を活用して嘉手納空港を補給等のために使用[26]
- (2007年)嘉手納で米豪共同訓練を実施[27]
そのほか、2014年にはフランス海軍のフリゲート「プレリアル」が、沖縄のアメリカ海軍基地をはじめ日本の各地に寄港している[28]
脚注
- ^ “国連軍”. 世界大百科事典第2版 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b c d “朝鮮国連軍と我が国の関係について”. 外務省. 外務省 (2019年5月21日). 2019年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月27日閲覧。
- ^ a b c “朝鮮国連軍”. 朝日新聞掲載「キーワード」の解説 (2019年1月14日). 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b 等雄一郎・福田毅・松葉真美・松山健二. “多国籍軍の「指揮権」規定とその実態(調査と情報 第453号)”. 国立国会図書館. 2017年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日本列島と朝鮮半島3 求められる将来を見通す「目」,藤井非三四,軍事研究 2013年7月号,P148-161,株式会社 ジャパンミリタリレビュー
- ^ 「敗走」破竹の進撃の北朝鮮軍 さらに南へ、国連軍の戦術的後退は続く,田中恒夫,朝鮮戦争 38度線・破壊と激闘の1000日 P34-39,学習研究社,2007年,(ISBN 978-4056047844)
- ^ 倉田秀也 (2011年3月). “米韓同盟と「戦時」作戦統制権返還問題”. 日米関係の今後の展開と日本の外交. 財団法人日本国際問題研究所. 2017年6月26日閲覧。
- ^ SAM-YEOL JANG (2001年4月). “The Role and Command Relationship of the USFK in the Changing Security Environment”. ARMY WAR COLLEGE. 2017年6月26日閲覧。
- ^ a b “朝鮮国連軍地位協定”. 日本国外務省 (2016年7月27日). 2017年6月26日閲覧。
- ^ a b “北朝鮮のミサイル発射に関するティラーソン国務長官の声明”. 駐日アメリカ合衆国大使館 (2017年11月28日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “国連軍派遣国会合、年内見送り=対北朝鮮、日本が難色”. 時事通信 (2017年12月5日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “国連軍参加国外相「軍事面の連携」重要性確認 河野太郎外相も出席「対話のための対話意味ない」強調”. 産経新聞 (2018年1月16日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ “北朝鮮への圧力継続、20か国一致…外相会合”. 読売新聞 (2018年1月17日). 2018年1月17日閲覧。
- ^ United States Forces Korea. “”. 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月27日閲覧。
- ^ a b “Agreement regarding the Status of the United Nations Forces in Japan” (PDF) (en ja). Foreign and Commonwealth Office. Her Majesty's Stationery Office (1957年3月). 2018年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月27日閲覧。
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P1-3_1.pdf
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P1-3_2.pdf
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P1-3_3.pdf
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P1-3_4.pdf
- ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P1-3_5.pdf
- ^ a b 第145回国会参議院日米防衛協力のための指針に関する特別委委員会会議録-5号, 1999年5月12日, p41
- ^ http://www.yokota.af.mil/news/story.asp?id=123378294
- ^ http://www.yokota.af.mil/shared/media/document/AFD-150924-004.pdf
- ^ Group Captain Tony McCormack: “Air Power in Disaster Relief: The Role of the Royal Australian Air Force in Australia’s Response to the 2011 Japanese Earthquake and Tsunami” (英語). Air and space power for Australia’s security (2014年). 2018年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月27日閲覧。
- ^ 第156回国会衆議院沖縄及び北方領土問題に関する特別委員会会議録-2号, 2003年2月25日, p24
- ^ 第171回国会参議院外交防衛委員会-16号, 2009年6月4日, p9
- ^ Kadena Air Base, "Base Hosts 1st RAAF training in Japan," 10/11/2007. <[1]>
- ^ http://www.ambafrance-jp.org/article7618
関連項目
外部リンク
- 条文「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」 - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
- 朝鮮国連軍と我が国の関係について - 外務省
- 『(朝鮮国連軍)』 - コトバンク