地理
大津市の北部に位置する。東は琵琶湖に面し、北で下阪本、南で(際川)、南西で(蓮池町)・滋賀里、西で(弥生町)、北西で穴太と隣接する。湖西線の東側で東の琵琶湖岸から一・二丁目、湖西線の西側で南から三・四丁目が並ぶ。
湖沼
歴史
奈良時代以前から地名として見られ、滋賀郡に属し、韓崎・辛前・辛崎とも書かれた[6]。万葉集の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」の歌にも詠まれ、当時から港の機能を持っていたことが窺える[6]。平安時代には(七瀬祓所)のひとつとして知られ、『蜻蛉日記』では都人がここへ祓に向かう様子が描かれている。この時期の和歌にもしばしば取り上げられ、『枕草子』でも「崎は唐崎、(三保が崎)」と名所として書き残されている[6]。平安末期頃からは日吉大社へ向かう神輿の(旅所)なっており、舞楽が捧げられていた[6]。またこの地の「唐崎の松」は近江八景のひとつとされ、松尾芭蕉の『野ざらし紀行』では「唐崎の松は花より朧にて」の句が残されている[6]。江戸時代以降は現在の唐崎にあたる区域の大半が滋賀郡下阪本村に属し、1889年(明治22年)の町村制施行においては下阪本村大字(下阪本)の一部、1951年(昭和26年)の下阪本村の大津市への合併に伴って大津市下阪本町の一部となった[7]。1979年(昭和54年)7月15日、下阪本町・坂本穴太町の各一部から新たに行政地名として唐崎一丁目から唐崎四丁目が成立した[1]。
沿革
世帯数と人口
2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 4,342人 | [8] | |
2000年(平成12年) | 4,271人 | [9] | |
2005年(平成17年) | 4,271人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 4,153人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 3,980人 | [12] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
交通
鉄道
路線バス
- 江若交通浜大津線
道路
施設
その他
日本郵便
脚注
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 9.
- ^ “滋賀県大津市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年9月22日閲覧。
- ^ a b “最新の人口統計表 - 男女別・町丁別人口統計表” (PDF). 大津市 (2019年9月5日). 2019年9月22日閲覧。
- ^ a b “唐崎の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. P248.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. P376.
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “大津市立学校及び幼稚園通学区域一覧表”. 大津市 (2019年4月1日). 2019年9月21日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 大津市役所HP