» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

同志座

同志座(どうしざ)は、かつて存在した日本の劇団である[1][2]1924年大正13年)9月、山田隆弥(のちの山田隆也)、佐々木積岡田嘉子ら「(舞台協会)」のメンバーが中心となって、東京で結成された[1][2][3]

略歴

概要

設立メンバーは、山田と佐々木、岡田のほか、宮島文雄(のちの宮島啓夫[1]笹川恵三[4]森英治郎[5]新国劇を脱退した(田中介二)[6]、(金井謹之助)[6]ら。「舞台協会」のほとんどが参加したといわれる[2]。当時学生だった露原桔梗(のちの稲垣きくの)は、同劇団の結成を新聞で知り、親の反対を押し切って参加した[1]。同年同月、第1回公演が東京・有楽町にあった(邦楽座)(のちの丸の内ピカデリー)で上演された[2]

1925年(大正14年)3月には、本郷座前田曙山作の『(燃ゆる渦巻)』を上演、金井謹之助が近藤勇、(三井光子)がお綾、山田隆弥が駒井相摸守を演じた[7]。同年、兵庫県西宮市甲陽園東亜キネマ甲陽撮影所と提携、森英治郎、(出雲美樹子)、宮島啓夫は同年6月25日に公開された坂田重則監督の『(光り闇を行く)』[8]、山田隆弥、宮島啓夫、出雲美樹子らは同日公開かつ同監督の『(敵と女敵)』、佐々木積、夏川静江は同年7月29日に公開された桜庭青蘭監督の『(虹を追ふて)』[9]、露原桔梗は同年10月6日に公開された坂田重則改め阪田重則監督の『(運命の十字路)』に夏川静江、佐々木積らとともに[10]、それぞれ出演している記録がある。これらの映画は「東亞同志座映畫」(東亜同志座映画)と目され、そのように報道された[11]。映画出演のかたわら、同年12月には、同県の宝塚劇場(現在の宝塚大劇場)で、レフ・トルストイ作の『復活』および山本有三作の『(同志の人々)』を上演している[12]

(浅見勝太郎)は途中、1926年(大正15年)に脱退し[13]進藤英太郎は同年に参加している[14]。このころ、間もなく解散し、岡田嘉子は日活京都撮影所第二部(日活大将軍撮影所現代劇部)に入社、東亜キネマに出演した者は、そのまま同社の専属となった[2]

所属俳優

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 影山[2005], p.46-47.
  2. ^ a b c d e 田中[1964], p.35.
  3. ^ a b 佐々木積、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  4. ^ a b 笹川恵三、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  5. ^ a b 森英治郎、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  6. ^ a b c d 田中介二、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  7. ^ 芝居とキネマ 2(3)、国立国会図書館、2013年3月4日閲覧。
  8. ^ 光り闇を行く、日本映画データベース、2013年3月4日閲覧。
  9. ^ 虹を追ふて、日本映画データベース、2013年3月4日閲覧。
  10. ^ 運命の十字路、日本映画データベース、2013年3月4日閲覧。
  11. ^ 芝居とキネマ 2(8)、国立国会図書館、2013年3月4日閲覧。
  12. ^ 芝居とキネマ 2(12)、国立国会図書館、2013年3月4日閲覧。
  13. ^ a b 浅見勝太郎、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  14. ^ a b 進藤英太郎、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  15. ^ キネマ旬報社[1979], p.156-157.
  16. ^ 成松和一、jlogos.com, エア、2013年3月4日閲覧。
  17. ^ a b 市川[1984], p.83-85.

参考文献

  • 『明治大正新劇史資料』、田中栄三、(演劇出版社)、1964年
  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
  • 『市川楽三郎手記』、(市川楽三郎)、(古座谷松代)、1984年
  • 「稲垣きくの」(影山澄江)、『時代を拓いた女たち - かながわの131人』所収、編江刺昭子神奈川新聞社、2005年4月 (ISBN 4876453586) , p.46-47.

関連項目

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。