来歴
プロ入り前
高校野球の強豪校である柳ヶ浦高等学校に入学。高校野球通算54本塁打を記録。2002年・2003年の全国高等学校野球選手権大会に大分県代表で出場したほか、3年時の2003年には主将を務めた。
2003年のドラフト会議で、大阪近鉄バファローズから2巡目で指名。契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
プロ入り後
2004年には、かねてから状態が思わしくなかった左肘を手術。一軍昇格の機会はなく、ウエスタン・リーグ公式戦での成績も、打率.250(12打数3安打)、1盗塁にとどまった。シーズン終了後には、近鉄がオリックス・ブルーウェーブと合併したため、分配ドラフトを経てオリックス・バファローズに移籍。近鉄への在籍は1シーズンだけに終わった。
2005年には、左肘のリハビリなどの影響で、一・二軍とも試合出場の機会がなかった。
2006年には、外野手登録ながら、一塁手・指名打者を中心にウエスタン・リーグ公式戦65試合に出場。プロ初本塁打を放ったほか、打率.265、14打点、1盗塁を記録した。
2007年には、前年と同様の起用法によって、ウエスタン・リーグ公式戦69試合に出場。打率.224、2本塁打、15打点、4盗塁という成績を残した。
2008年には、主に指名打者として、ウエスタン・リーグ公式戦61試合に出場。同リーグ選抜の一員として出場したフレッシュオールスターゲームでは、本塁打を放ったことで優秀選手賞を受賞した。しかし、10月3日に球団から戦力外通告を受けたことを機に退団。11月開催の12球団合同トライアウトに参加したが、どの球団からも獲得のオファーがなかったことから、一軍の公式戦へ出場できないまま現役を引退した。
現役引退後
トレーナーを養成する専門学校への進学[1]を経て、柔道整復師の国家試験に合格。卒業後の2011年から、2012年までは接骨院に勤務していた[2]。
2013年には、以上の経歴を買われて、古巣であるオリックス・バファローズのトレーナー(コンディショニング担当)へ就任[3]。同年1月の新人合同自主トレーニングから新人・若手選手を指導したほか、馬原孝浩のストレッチ[2]や、金子千尋・西野真弘のリハビリなども担当した[4]。
人物
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 39 (2004年)
- 63 (2005年 - 2008年)
脚注
関連項目
外部リンク
- Kira接骨院