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因幡吉岡氏
豊後吉岡氏
大友氏から野津氏、そして吉岡氏へと分かれた[2]。(野津頼宗)を祖とする。
豊後国の(鶴崎地方)を領し、(千歳城)、鶴崎城を築き居城とした。吉岡長増の子・(鑑興)は耳川の戦いで大友軍が島津氏に大敗した際に陣没するも、島津氏が豊後に侵攻し大友氏が滅亡の危機に立たされた際には、鑑興の遺子・(統増)が大友宗麟を守護し、また未亡人である妙林尼は居城を守って奮戦した。
剣豪
室町時代、京八流(陰陽師の鬼一法眼が、源義経らに伝授した兵法)を基に、京都に(吉岡流)を開き、足利将軍家の剣術師範を務めた。