この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年12月) |
台北賓館(たいほくひんかん)は、台湾台北市中正区凱達格蘭大道1号に建つ中華民国の国家招待所(迎賓館)で、中華民国外交部が管理している。
概要
台北賓館は日本統治時代の明治32年(1899年)4月に起工し、明治34年(1901年)9月26日に完成した。もともとは台湾総督の官邸として建てられた。設計は当初(福田東吾)と野村一郎が担当し、後に森山松之助も設計に携わった。しかし、最初に竣工した官邸は資材の腐食などが問題となり、ろくに使用されず、さらに明治44年(1911年)から改築工事を経て、大正2年(1913年)3月に現在の建物がついに完成している。
建物はバロック風の二階建てで、庭園は日本風である。日本統治時代においては、台湾総督の暮らす住居と執務の場である官邸であった。また、迎賓館としても使用していたため、内装は豪華絢爛で、皇太子時代の昭和天皇をはじめ、数々の要人が宿泊した。もっとも、住居としての使い勝手は、必ずしも良くなかったことから、この官邸を使用することは次第になくなり、田健治郎(第8代台湾総督)の時に、総督の日常生活を行う住居として数寄屋造りの別館が新設され、総督の公邸として使用された。一方、官邸の境内は園遊会や茶話会のための行事場所としても度々活用され、このような機能は今日まで続いている。
第二次世界大戦の終結後、建物は中華民国に引き渡され、しばらく台湾省主席の官邸が入居したが、1950年以降迎賓館として使われるようになった。
1977年から本館の老朽化に伴って、断続的に内部を修理してきた。2001年に本館を閉鎖し、全面補修工事を受け2006年6月に再開館。日華平和条約はこの台北賓館で1952年4月28日に調印された。
見学
台北賓館は戦後、長い間非公開とされていたが、2006年6月4日より年に数回の頻度で一般公開が行われるようになった。
2009年4月28日には、日華平和条約調印時の様子を再現した展示が完成。調印当時の日本側代表河田烈元大蔵大臣、台湾側代表葉公超外交部長ら列席者5名の銅像や史料が陳列された。
ギャラリー
外部リンク
- 台北賓館參觀線上報名
- 台北賓館一般民眾參觀動線圖
- 台北賓館一樓參觀動線平面圖