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台中神社

台中神社(たいちゅうじんじゃ)は、日本統治時代台湾台中州台中市にあった神社である。旧社格国幣小社

台中神社

1942年前の台中神社
所在地 台湾台中州台中市新高町台中公園→水源地
位置 北緯24度8分39.9秒 東経120度41分5.8秒 / 北緯24.144417度 東経120.684944度 / 24.144417; 120.684944 (台中神社)座標: 北緯24度8分39.9秒 東経120度41分5.8秒 / 北緯24.144417度 東経120.684944度 / 24.144417; 120.684944 (台中神社)
主祭神 能久親王
大国魂命
大己貴命
少彦名命
社格 国幣小社
創建 1911年明治44年)
地図
台中神社
(テンプレートを表示)
台中神社の現況、本来本殿があった部分に立っている像は孔子像。

祭神能久親王大国魂命大己貴命少彦名命であった。

歴史

1911年明治44年)2月28日に台中市街の北側の新高町にある台中公園内に創立され、1912年大正元年)10月に社殿が竣工、鎮座祭が行われた。1914年(大正3年)5月29日に県社に列格した。1942年昭和17年)11月27日、同町の水源地に遷座し、国幣小社に昇格した。1945年第二次世界大戦日本の敗戦の後、廃座された。

戦後、台中神社は(忠烈祠)(中国語版)に改められた。1970年民国59年)、日本式の建物は全て取り壊され、跡地に中国式の孔子廟と忠烈祠が建てられた。

その他

  • 大正3年(1914年2月25日板垣退助が参拝している[1]
  • 台中神社の遷座前の社地は台中公園の一部となっている。元鎮座地の社殿跡には基礎が残っており、1973年、その上に孔子記念像が建てられた。台中神社の鳥居が公園内に倒された状態で置かれており、ベンチとして使用されている。台中公園内には台中神社の参道が残っている。参道脇の燈篭は戦後に全て撤去されたが、近年になって台中市が神社の遺跡を史蹟として整備しており、燈篭も元の通りに並べ直された。

補註

  1. ^ 『植民地在住者の政治参加をめぐる相剋「台湾同化会」事件を中心として』岡本真希子著

外部リンク

  • 台中市孔廟忠烈祠聯合管理所
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