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古国時代(ここくじだい、簡体字: 古国时代[1])は、2002年から2018年にかけて行われた、中華文明探源プロジェクトにより提唱された、中国史の新たな時代区分の1つである。
かつては伝説時代や上古時代とも呼ばれたが、近年では資料の出土から夏王朝以前の国家の存在が確実視されつつある時代区分であることから、このように呼ばれる。
期間
古国時代の期間は、堯舜の頃までとされる[2]。夏王朝の存在時期(紀元前1920年代〜)[3]と合わせて考えると、紀元前3800年[注釈 1]〜紀元前1920年となる。
次の年表は、中華文明探源プロジェクトによる年代推定である[注釈 2]。
- 原初諸氏期(BC3800〜BC3050、750年間)
- 太昊 :紀元前3350年頃
- 炎帝神農氏(BC3050〜BC2510、540年間)
- 神農 :紀元前3035年頃
- 黄帝有熊氏(BC2510〜BC1920、590年間)
沿革
この時代においては、神農や黄帝の一族による支配が行われたものの、それらは(いわゆる)世襲によらず、禅譲によるものとされた。これは後世(特に魏の曹操〜)において理想の易姓革命の形とされ、皇位簒奪者に利用される傾向があったためである。
歴代帝王[注釈 3]
原初諸氏
中国氏族同盟伏羲女媧体制の(選挙制の)炎帝と名乗ったとされる[4][注釈 4]。期間はBC3800〜BC3050、750年間とみられる。
太古時代
- 盤古 万物を作り出したとされる。
- (渾沌氏) 盤古(元始天王、元始天尊)と同一視される。
- 三皇 有巣氏・燧人氏と同一視される[注釈 5]。
- (五竜氏)
- (皇伯)
- (皇仲)
- (皇叔)
- (皇季)
- (皇少)
- 有巣氏
- 燧人氏允婼
伏羲女媧時代
- 太昊 紀元前3350年?。伏羲と同一や天皇とも。
- 伏羲 風姓。女媧と同じく創造神。別名は天皇、宓羲、庖犧、包犧、犧皇、皇羲など。女媧、嬟移、師嬟、太昊、昊嬟、少昊、嬑節、伏泰、羲皞、印槍が後継となったとされる。
- 大庭氏
- (新印)
- (姯印)
- (随象)
- 柏皇氏
- (伏顕)
- (可塑)
- (郁莟)
- 不明
- 象団
- (中央氏)
- (象偉)
- (伏案)
- (曲秦)
- (随秦)
- (巻須氏)※
- (晁安)
- 栗陸氏
- (伏安)
- (起望)
- (河圭)
- 不明
- 圭嬜
- 驪連氏
- (泰望)
- (施公)
- (団良)
- (冠象)
- (団伏)
- 赫胥氏
- (伏義)
- (娍義)
- (肆櫔)
- (帰紋)
- (伏秧)
- 不明
- 団皞
- 尊盧氏
- (秦槍)
- (革池)
- (槍蘭)
- (三那)
- (革蘭)
- (祝融氏)[注釈 6]
- (赤禅)
- (洛槍)
- (附前)
- (洛前)
- (混沌氏)
- (伏紀)
- (随嬄)
- (鵬爍)
- (茜河)
- (昊英氏)
- (規辛)
- (金鳥)
- (掮師)
- 不明
- 雪河
- (後有巣氏)[注釈 7]
- (汝信)
- (羅秦)
- 葛天氏
- (風浩)
- (峙龍)
- (達河)
- 陰康氏
- (荷曲)
- (達耳)
- (媒蘭)
- (立路)
- 不明
- 因康
- (朱襄氏)
- (墻爍)
- (澤治)
- 不明
- 渭茂
- 無懐氏
- (蒼芒)
- (蒼曲)
- 不明
- 風和
- 節氏
- 太河
- 太耀
- 節芒
"※"は史記(三皇本紀)のみの記述。帝王世紀にもあるものは"※"無し。また、この順序は中国伝説時代君主列表に依った。[注釈 8]
炎帝神農氏(BC3050〜BC2510,540年間)
- 神農 (1) 神農氏の初代。BC3050頃。
- (帝臨魁)(2) (帝承)が2代目とも。
- (帝承) (3) (帝臨)が3代目とも。
- (帝明) (4) (帝則)が4代目とも。
- (帝直) (5) (帝百)が5代目とも。
- (帝来) (6) (帝嫠)が6代目とも。
- (帝哀) (7) (帝襄)が7代目とも。
- 帝楡罔(8) 帝楡とも。阪泉の戦いで敗れる。[注釈 9]
黄帝有熊氏(BC2510〜BC1920,590年間)
- 黄帝 (1) 少典の子。BC2510頃。
- 玄囂 (2) 黄帝の長男、少昊。BC2448頃。
- 顓頊 (3) 黄帝の次男昌意の長男。
- 嚳 (4) 玄囂の子の(蟜極)の子。帝夋(殷祖)
- 摯 (5) 嚳の長男。
- 放勲 (6) 嚳の次男。堯。重華に禅譲。
- 重華 (7) 瞽叟の子。舜。禹に禅譲。
- (窮蝉) 顓頊の子。
- (敬康) 窮蝉の子。
- (句望) 敬康の子。
- (橋牛) 句望の子。
- (瞽叟) 橋牛の子。
夏王朝家(禹以前)
(顓頊以下4代略)
政治・社会
黄帝以前の治世
黄帝以前についてはあまり伝承がないが、原初諸氏の時代には「治めずして治まった時代」だったといわれる。また、炎帝時代末期には炎帝神農氏の支配力が弱まった事も分かっているが、その原因を含め詳しくは分かっていない。
黄帝の治世(伝説)
黄帝は創造神の1柱である、伏羲の子孫の炎帝神農氏にその同祖の蚩尤が魑魅魍魎を味方につけて攻め寄せたのに対し、炎黄連合軍は、応竜を召喚して指南車を以って退治したとされる。その後、8代炎帝も打ち破って帝位についたとされる。
顓頊の治世(伝説)
高陽を都として高陽氏を名乗り始め、人民と神の接触を止めさせるために天界への道を閉ざしたとされる。また、舜や禹、春秋戦国時代の楚・秦・趙の祖先ともされる。
堯の治世(伝説)
度重なる黄河の洪水を止めるべく、家臣に問うと顓頊の子の鯀が適任とされたが、9年経っても収まらなかったため処刑し(流刑としたという話もある)、鯀の子の禹に工事をさせた所上手くいったという。また、10個の太陽が一度に出て大飢饉が起こったため、9個の太陽を弓の名手の羿に落とさせたため、民は喜んだという。また、子の驩兜(丹朱)のために囲碁を発明したとされる。しかし、驩兜は三苗と組んで堯に対する反乱を企て、共工(洪水を起こし幽州に追放され北狄となる)を紹介した。
舜の治世(伝説)
帝位についた舜は洪水を治めるために禹を採用し、成功した。(南風歌)を作ったとされ、39年間帝位につき、禹に禅譲して死去した。
経済・貿易・対外関係
伝説上では異民族と反乱軍の同盟が帝王によって倒されるという形が見られるが、探源プロジェクトによると、他民族とは敵対していた訳ではなく、並立関係にあって互いに影響しあっていたとされる[5]。
人物
文化圏
出来事
脚注
注釈
- ^ 開始時期については紀元前5000年や紀元前4300年とする説があるが、一番新しい時期で記したことに留意。
- ^ 推定が存在しない部分は竹書紀年などの記述を抜粋したため、ズレが生じている事に留意。
- ^ 本項目においては、王号を用いるべきではない(例:三皇五帝の1人である黄帝)が、皇帝号を用いることも不適切であるため、夏禹を除いては一律に「帝王」と呼ぶこととする。
- ^ 炎帝号を名乗り始めたのは大庭氏とされる。その後、神農氏が代々の世襲称号として用いた。
- ^ 三皇については様々な説があるため、三皇を参照。
- ^ 祝融の名は火の神で知られ、炎帝神農氏の子孫にも登場する。
- ^ 伝説において、有巣氏との混同がみられるので注意。
- ^ 一般にはこの時代の氏は諸侯国の事であり、これらの国々が750年で20回交代したこととなる。そのため、諸資料の記述にあるような「治めずして治まった平和で理想的な時代」という表現は正しいとはいえない。また、最後の無懐氏が何故炎帝神農氏に交代したかは明らかになっていない。
- ^ 子孫は残っているが、この代で黄帝に倒されたため、以降は炎帝神農氏の項で記すこととする。