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古今亭志ん馬

古今亭 志ん馬(ここんてい しんば)は、落語名跡。なお初代と二代目は詳細不明のため、直近の志ん馬は七代目という説もある[注 1]。また同じ読みの名跡に「三遊亭新馬」がある。

紋「裏梅」

2代目

二代目 古今亭ここんてい
本名 金川 利三郎
別名 横浜の志ん馬
生年月日 1889年3月26日
没年月日 (1961-08-02) 1961年8月2日(72歳没)
出身地   日本
師匠 (二代目林家染丸)
三代目古今亭志ん生
名跡 1. 笑福亭三喬
(1904年 - 1912年)
2. 林家染之助
(1912年 - ?)
3. 古今亭錦生
(? - 1917年)
4. 二代目古今亭志ん馬
(1917年 - 1961年)
活動期間 1904年 - 1961年
所属 睦会
誠睦会

二代目 古今亭 志ん馬1889年3月26日 - 1961年8月2日)は、落語家。本名∶金川 利三郎。俗に「横浜の志ん馬」

(三代目笑福亭松鶴)の生家から一軒置いた家に生まれる。その影響で商業学生時代の15歳の時に(五代目笑福亭松喬)に入門し退学して二ツ目で笑福亭三喬を名乗る。1912年に師が二代目林家染丸を襲名したことに伴い染之助となる。

祖父が横浜出身であった関係で横浜を拠点とする。横浜の寄席(新富亭)の高座に上がっている時に初代立花家橘之助に見出され三代目古今亭志ん生の門下となり古今亭錦生を名乗る。

おりしも1917年は(睦会)の若手の真打昇進ラッシュであった当時それにあやかって自身も真打昇進。二代目古今亭志ん馬を襲名する。

睦会の月給制度に反対しトラブルになるなどし睦会を離脱し、上方の出身噺家を集めて(誠睦会)を設立するも失敗。昭和に入り人気も落ちた。

この人物は立花家橘之助、初代橘ノ圓夫婦が保存していた三遊亭圓朝の遺品を志ん馬が引継ぎ1947年に(橘流)寄席文字家元橘右近に受け継がれ現在に至る功績は大きい[1]

6代目

六代目 古今亭ここんてい
本名 稲田 真佐文
生年月日 1935年1月11日
没年月日 (1994-09-10) 1994年9月10日(59歳没)
出身地   日本福岡県
師匠 五代目古今亭志ん生
弟子 古今亭志ん次
古今亭志ん吉
名跡 1. 古今亭志ん吉
(1952年 - 1955年)
2. 金原亭馬太郎
(1955年 - 1966年)
3. 六代目古今亭志ん馬
(1966年 - 1994年)
出囃子 岸の柳
活動期間 1952年 - 1994年
配偶者 あり
所属 落語協会

六代目 古今亭 志ん馬1935年1月11日 - 1994年9月10日)本名∶稲田 真佐文 。59歳没。出囃子は「岸の柳」。福岡県小倉市(現在の北九州市)出身。

経歴

1952年5月、五代目古今亭志ん生に入門。前座名「志ん吉」。

1955年3月に橘家舛蔵と共に二ツ目昇進し、「金原亭馬太郎」に改名。

1966年3月、真打昇進、六代目古今亭志ん馬を襲名。

1994年9月10日、肝臓癌のため入院先の東京慈恵会医科大学附属病院で死去。

芸歴

人物

九州の訛りがあり若いころは苦労したが、師匠譲りのネタを得意とし、「お昼のワイドショー」のキャスター、二代目いじわるばあさんとしても有名。晩年は高座に専念した。

二ツ目の馬太郎時分、松鶴家千代若・千代菊の家に居候していた。そこで知り合った桂金吾の娘が、後の志ん馬の妻である。

出演作品

テレビドラマ

青島幸男の降板に伴う途中交代で第53 - 93回に出演。第94回からは高松しげおに再交代している。
  • 新五捕物帳 第170話「向島から来た女」(1982年)- 小円菊

テレビバラエティ

ラジオ

一門弟子

7代目

七代目 古今亭ここんてい
 
本名 吉野 惠一
生年月日 1958年3月3日
没年月日 (2013-10-07) 2013年10月7日(55歳没)
出身地   日本東京都板橋区
師匠 六代目古今亭志ん馬
三代目古今亭志ん朝
名跡 1. 古今亭志ん吉
(1981年 - 1985年)
2. 古今亭志ん次
(1985年 - 1997年)
3. 七代目古今亭志ん馬
(1997年 - 2013年)
出囃子 (芸者ワルツ)
活動期間 1981年 - 2013年
所属 落語協会
受賞歴
NHK新人演芸大賞落語部門大賞(1996年)

七代目 古今亭 志ん馬1958年昭和33年〉3月3日 - 2013年平成25年〉10月7日)は、東京都板橋区出身の落語家。本名∶吉野 惠一落語協会所属。出囃子は『芸者ワルツ』。

経歴

日本大学を中退して1981年4月に六代目古今亭志ん馬に入門、前座名は「古今亭志ん吉」。

1985年9月に二ツ目昇進、「志ん次」と改名。1994年8月に師匠六代目古今亭志ん馬が死去したため三代目古今亭志ん朝門下に移る。1996年NHK新人演芸大賞落語部門大賞受賞。

1997年9月に七代目柳亭燕路と共に真打昇進し、七代目古今亭志ん馬を襲名。

2013年10月7日、胃ガンのため死去[2]

芸歴

人物

外部リンク

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 落語協会のHPでは七代目と記載されていて四代目古今亭志ん生が名乗った志ん馬を初代とし以降カウントしている。

出典

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN (458212612X)
  1. ^ 収集品の大半は、2013年に東京都江戸東京博物館に「橘右近コレクション」として収蔵された。また、一部は書籍「橘右近コレクション 寄席百年(小学館、1982年)」に収録されている。
  2. ^ . SANSPO.COM. (2013年10月9日). オリジナルの2014年4月3日時点におけるアーカイブ。. 2014年4月3日閲覧。 

 

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