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経歴
名栗村の柏木家で生まれ、利八郎の養子になった。(真能寺村)戸長、飯能・久下分・真能寺の三村が合併した連合村の筆生を経て、1889年、飯能町(現・飯能市)の初代町長に就任した。1897年、自治行政の功により藍綬褒章を受けた。1903年頃から、(第三十六銀行)の監査役、取締役を務める。[1] 1907年、日露戦争銃後の功により勲七等に叙せられた。1908年から2期8年、町長と兼任して埼玉県会議員を務めた。1910年から4年間は(小山八郎平)と交替したが、1922年に健康上の問題で退任するまで前後あわせて30年にわたり町長を務めた。
長男は双木利一。
年譜
脚注
- ^ 早川 大介. “安田財閥と地方銀行の系列化”. 成城大学. 2021年10月30日閲覧。
参考文献
「飯能人物誌」1970年、p46
早川 大介 成城大学「安田財閥と地方銀行の系列化」(閲覧:2021年10月30日)