略歴 3代当主・(南部時実)の三男として誕生。幼名は彦三郎(『南部史要』)。
4代当主・南部政光に子がいないため跡を弟・義元の嫡子・義行に決めたが、義行は政光の意向に反して甲斐国に戻る。このため政光の弟の宗経が家督を継ぐ。この時から家運が衰えて京都への大番や、鎌倉への参勤も絶つという。
弘安6年(1283年)5月17日、没する。享年38。法号は西来院殿直山示公。
参考文献 - 熊谷考『南部史要』熊谷印刷出版部、1972年。ISBN (4877202277)。
外部リンク - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 南部史要
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