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十勝郡

十勝郡(とかちぐん)は、北海道十勝国十勝総合振興局

北海道十勝郡の位置(緑:浦幌町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄・水色:後に他郡に編入された区域)

人口4,269人、面積729.85km²、人口密度5.85人/km²。(2023年3月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に中川郡豊頃町の一部(旅来・大津・打内および大津各町)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の十勝郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。政時代から明治時代初頭にかけての交通は、沿岸部に渡島国箱館から千島国方面に至る道(国道336号の前身、釧路国との国境付近からは国道38号の前身)が通じていた。寛政10年ころにはすでに大津に(番屋)が存在し、翌11年には駅逓も置かれた。

(江戸時代後期)、十勝郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年十勝郡域は天領とされたものの、文政4年には一旦松前藩領に復ている。(稲荷神社)(現豊頃町大津地区に所在)は文政11年十勝場所請負人福島屋杉浦嘉七により建立された。安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領により仙台藩が領有している。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して十勝郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を「大津(ほふつ)郡」と命名し、開拓使公文録でも「大津郡」であったが、その後現在の十勝郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では他にも現在の上川郡中川郡で郡名が変更されている。

郡発足以降の沿革

 
北海道一・二級町村制施行時の十勝郡の町村(2.大津村 3.生剛村 右黄:浦幌町 橙:中川郡豊頃町 21.広尾郡大樹町)
明治9年の大区小区
  • 第23大区
    • 6小区 : 大津村、長臼村、鼈奴村、生剛村、愛牛村、十勝村

行政

浦河郡外十郡長
釧路郡外十一郡長
釧路郡外十郡長
釧路郡外十二郡長
河西郡外五郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 吉田直太郎[4] 明治30年(1897年)7月 明治30年(1897年)11月5日 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 現在の広尾郡大樹町の一部(生花・晩成)、中川郡豊頃町の一部(湧洞・長節)。
  2. ^ 現在の生花・晩成。
  3. ^ 現在の湧洞・長節・大津・旅来。
  4. ^ 千枝 1925, 14頁.

参考文献

外部リンク

  • 北海道・豊頃町ホームページ 豊頃町の歴史 大津地区(旧大津村中部地区)[]
  • 浦幌町/町の年表

関連項目

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