歴史
1939年(康徳6年)6月1日、満州国は竜江省北部の殖産新興のために浜江省綏化県、望奎県、海倫県、綏棱県、慶城県、鉄驪県及び竜江省明水県、拝泉県、依安県、克山県、克東県、北安県、通北県、徳都県、嫩江県の地域に北安省を設置15県を管轄すると共に省会を北安街に設置した。
1943年(康徳10年)1月1日に嫩江県が黒河省に移管され、同年7月に慶城、鉄驪両県が合併し慶安県が成立し13県の管轄となった。
行政区画
満州国崩壊直前の下部行政区画は下記の通り
設置
廃止
1945年8月、満州国の崩壊と共に自然消滅。
歴代省長
特記なき場合『世界諸国の制度・組織・人事 : 1840-2000』による[1]。
- (馮廣民):1939年6月1日 - 1939年11月6日
- (壽聿彭):1939年11月6日 - 1941年10月11日
- (李叔平):1941年10月11日 - 1944年12月16日
- (王乗鐸):1944年12月16日 - (終戦)
脚注
参考文献
- 秦郁彦 編『世界諸国の制度・組織・人事 : 1840-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN (4130301225)。