由緒
延喜式神名帳に尾張国山田郡別小江神社、本国神名帳に従三位別小江天神とある式内社[1]。
もとは現在地より約300メートル東北の[要出典]千本杉にあったが、天正12年(1584年)織田信雄の命により今の地に遷座された[1]。
江戸時代は「六所明神」と称していた
庄内川南岸近くに鎮座する。 別小江の名称は、川の分流をさす意味であろう。
創始年月は不詳であるが、元は千本杉と称する所に鎮座していたものを、天正12年(1584年)織田信雄の命によつて、今の地に遷座したという。明治初年に式内社別小江神社と改称した。
特記
古くから安産、小児の守護神と寿命の神様として源義家、為義郷を始め織田・豊臣・徳川公代々の崇敬が厚い神社である[1]。境内の夫婦杉は天然記念物で[1]、名古屋市の史蹟名勝となっている[要出典]。境内には名古屋城築城の際、加藤清正が稲置街道に架けさせた清正橋に使われていた石がある[要出典]。
境内末社。
八幡社・日神社・金刀比羅社・御嶽社・津島社。
ギャラリー
拝殿
清正石
脚注
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト(日本語)
- ウィキメディア・コモンズには、別小江神社に関するカテゴリがあります。