地理
富士川と赤石山脈の間にあり、縦に細長い街並みが続いている。古くから甲斐国と駿河国を結ぶ駿州往還の宿場が設けられ、現在では身延町の役場が設けられている。川と山脈の間にあり、特に南側の八日市場へ続く道は日下り道(ひさがりみち)と言われ当地区は昔から交通の難所とされている。
歴史
江戸時代の『甲斐国志』によると鰍沢宿から二里二六町、下山宿から一里二三町にあると記述されている。戦国時代の河内領主・穴山信君の発給文書には当宿場町の名前はなく、寛永の頃に切石宿(きりいししゅく)という宿場が設けられたとされている。北側から上宿、中宿、下宿と縦に細長い宿場町であり、中宿には名主宅を兼ねた本陣が設けられていた。[4]また、中宿と下宿の間に夜子沢川(よごさわかわ)が流れ、江戸時代は「切石の渡し」と呼ばれる渡し船で渡河を行っていたほか、切石河岸は富士川舟運の中継河港としてもその役割を担っていた。[4]
1872年(明治5年)に実施された県内80区制において巨摩郡切石村となり、1889年(明治22年)に周辺の手打沢村、寺沢村、夜子沢村と合併し、「南巨摩郡切石村」と名前が引き継がれたが、1892年(明治25年)に静川村に改称されている。1954年(昭和29年)の「昭和の大合併」で「南巨摩郡中富町切石」となり、さらに2004年(平成16年)には身延町・下部町と合併したことにより「南巨摩郡身延町切石」となり現在に至る。
世帯数と人口
交通
- 道路
- 富士川の対岸の下田原地区にある。
- 山梨県と静岡県を結ぶ一般国道。同地区に(富士川橋)があるが、復員が狭い。中部横断自動車道中富インターチェンジが開通した際大型車通行用に国道52号を通り南へ約1kmの場所に(中富橋)が架橋されている。
- 以前は山梨県道418号曙静川線であった。なお、山梨県道418号は現在欠番となっている。
- 路線バス
- 高速バス
- 中央高速バス身延線 切石バス停