地理
渋谷駅の西側、道玄坂上の北側に位置する。東は区内道玄坂、南は同南平台町、西は同神泉町、北は同松濤に接する。ラブホテル街としても知られる。
歴史
江戸時代には甲州街道の脇街道であった大山街道(厚木街道、矢倉沢往還)の宿場町(ただし、人馬継ぎ立場ではない)として栄え、明治以降も花街として続いた。
円山は江戸時代から大山街道の宿場町として栄えていた。円山町が花街となったのは、1887年(明治20年)頃、義太夫流しをなりわいにしていた人が、弘法湯の前で宝屋という芸者屋を開業したのが始まり。その後、年とともに芸者屋、料理屋が増していき、それに伴い代々木練兵場の将校達が円山町に遊びに来るようになった。この界隈が円山と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからで、以前は鍋島藩の荒木氏の所有だったため、「荒木山」と呼ばれていた。円山町は1913年(大正2年)に、 芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸をもった1万5000坪が三業地として指定された。1919年(大正8年)2月には、渋谷三業株式会社を創立して隆盛期に入る。1921年(大正10年)には、さらに芸妓置屋137戸、芸妓402人、待合96軒、関東大震災直前には芸妓420名を数えた。1980年(昭和55年)ごろまで三業界のにぎわいは続いたが、時代の変遷とともに料亭の数も減っていった。
1970年(昭和45年)1月1日に住居表示が実施された[4]。
2019年(令和元年)10月1日、東京都は円山町を含む渋谷の繁華街一帯を暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定[5]。強化地域内では暴力団員との間でみかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[6]。
町名の変遷
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
円山町を舞台にした作品
施設
備考
円山町は、近辺で生まれ育った地元民(特に不良少年と呼ばれた層)の間で、「悪山町」(わるやまちょう)の異名で親しまれていた。この呼び名は、円山町の隣町で生まれ育ったアーティスト・K DUB SHINEの2001年の楽曲『ILL STREET BLUES』の歌詞の中にも登場している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 渋谷区
- 円山町の芸者・喜利家鈴子さん