内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)は、東京都出身の作曲家・編曲家・ピアニスト。
人物
1946年(昭和21年)に旧制麻布中学校を卒業。同窓生にフランキー堺、小沢昭一、加藤武、仲谷昇らがいる。その後(旧制)一高に進んだが大学進学をやめて音楽家となり、1951年(昭和26年)、東京キューバン・ボーイズにピアニスト兼編曲家として入団し活躍した。1958年(昭和33年)に、作・編曲家として独立した。
1959年(昭和34年)秋に宝塚歌劇団男役スターとして戦中から戦後にかけて活躍し、宝塚退団後は「日本のシャンソンの女王」の異名をとった越路吹雪と結婚。夫妻に子はなかったが越路とは越路の逝去まで連れ添い、内藤は越路が亡くなるまでリサイタルやディナーショーの構成、作曲、編曲、指揮なども手掛けた。
越路の死の直前、病床の越路は意識が朦朧とする中で「法美さんにコーヒーを」と、最期まで最愛の夫である内藤を気遣った。
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略歴
- 1951年(昭和26年)- 東京キューバン・ボーイズにピアニスト兼編曲家として入団。
- 1958年(昭和33年)- 作曲家・編曲家として独立。
- 1959年(昭和34年)- 越路吹雪と結婚。
- 1980年(昭和55年)- 妻・越路吹雪、胃癌のため死去、56歳没。
- 1988年(昭和63年)- 肝臓癌のため死去、58歳没。
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