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内田 正学(うちだ まさのり / まさあきら[1])は、下総小見川藩の第10代(最後)の藩主。小見川藩内田家13代。明治時代の政治家・陸軍軍人、子爵。
生涯
弘化4年(1847年)11月3日、内田家分家で1500石を領する旗本・(内田正路)の次男として生まれた。元治元年(1864年)に本家第9代藩主の正縄が早世したため、その養子として跡を継いだ。幕末期は佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では官軍に協力している。明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。
1877年(明治10年)の西南戦争では、東伏見宮嘉彰親王に従って三等中警部心得として参戦する。明治17年(1884年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。1892年(明治25年)には陸軍大尉となり、1894年(明治27年)の日清戦争では歩兵第2連隊副官として参戦した。1897年(明治30年)7月10日には貴族院議員となり[1][4]、1910年7月22日の死去まで在任した[1]。享年64。
家族
父母
- (内田正路)(実父)
- 内田正縄(養父)
妻
- 内田録子 ー 内田正道の娘
子女
- (内田正吉)(長男)
- (内田寛治)
脚注
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。