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『入江相政日記』(いりえすけまさにっき)は、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政(1905年生まれ)が1935年から、1985年9月に死去する前日までほぼ毎日記した日記。朝日新聞社で公刊された。
概要
入江は1969年から1985年まで侍従長を務め、80歳を迎えたのを機に、10月1日付けで退任を公表していたが、その前々日の9月29日の日曜日に自宅で歿した。
戦前から太平洋戦争前後の混乱、戦後の復興とそれに伴う象徴天皇制の確立・定着に至る昭和天皇、香淳皇后をはじめとする皇室・旧皇族の動静、歴代侍従長はじめ宮内庁関係者の横顔、旧堂上華族家だったが敗戦・占領改革による生活難を、皇室を題材としたエッセイの数々を執筆し文筆家となることで、克服していく入江一家の生活史などが、随筆家らしい平易な文体で綴られている。
1959年(昭和34年)の皇太子明仁親王と正田美智子の結婚に至るまでの香淳皇后や女性皇族・華族婦人達の反発、70代を迎えた昭和天皇の健康の衰え、またあまり知られていなかった数々の秘話では、GHQの意向で初代宮内庁長官となった田島道治の独断により、天皇・皇后が1953年(昭和28年)1月に亡くなった秩父宮雍仁親王の葬儀には参列できなかったことや、今城誼子(皇后に仕えた女官で、入江らと対立関係にあった、1971年に退職)をめぐる宮中内の騒動なども、当事者の立場で記述されている。
刊行書籍
関連項目
- 三谷隆信(前々侍従長) - 徳川義寛(侍従次長、後任侍従長)
- 宇佐美毅(第2代宮内庁長官) - 富田朝彦(第3代宮内庁長官。富田メモ参照)
- 濱尾実 - 東宮侍従。カトリック信者。弟文郎はバチカン枢機卿。入江が入内後の美智子妃の奔放さや華美、勝ち気さにいささかなりの不快感を書き留めることもあった。対して、濱尾の著作はカトリックという背景からか美智子妃には親和的であった。ちなみに、「軽井沢のテニスコート」を演出した面々((参照先))、田島道治(初代宮内庁長官)や三谷隆信[1]、松村淑子や井上和子(共に昭和から平成の女官長)ら、田島に長官職を移譲された宇佐美毅((参照先))、そして美智子妃や入江自身もカトリック信徒とされている[2]。
- 常磐会
- 河井彌八 - 侍従次長時代の『昭和初期の天皇と宮中 侍従次長河井弥八日記』(全6巻、岩波書店)や、『河井弥八日記 戦後篇』(全5巻、信山社出版)がある。
- 卜部亮吾 - 入江の部下の侍従。『卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞出版)がある。