初代(1928年)
「佐世保市歌(初代)」 | |
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(横田良一) の シングル | |
A面 | 佐世保市歌 |
B面 | 佐世保海軍工廠々歌 |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 市歌 |
レーベル | タイヘイレコード(3654-A) |
作詞・作曲 | A面‥作詞:八波則吉、作曲:島崎赤太郎 |
初代の「佐世保市歌」は1928年(昭和3年)8月29日に制定された[1]。市では「歌が制定されるまでのきっかけや経緯などは不明」としているが[2]、作詞者の八波は著書『唱歌作歌法講話』において、前年に作詞した福岡県の「(八幡市歌)」との対比として、次のように述べている。
佐世保も八幡に似た新興都市である。則ち八幡市の製鉄所に於けるが如く、佐世保市の鎮守府は市によって興った動機であるのだ。で、先づ佐世保市に遊んで軍港を視察した(中略)作歌の過程も、手法も、両市歌共に同一であった。—八波則吉『唱歌作歌法講話』(1931)[3]
2代目(1952年)
映像外部リンク | |
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佐世保市歌(市制111周年再録版) - YouTube(web sasebocity) |
現行の2代目「佐世保市歌」は市制施行50周年を記念して制定されたもので、懸賞公募の入選作を基に佐世保で幼少期を過ごした小説家の吉田絃二郎が補作した後、堀内敬三の作曲により4月1日付で制定された[4]。1965年(昭和40年)にテイチクが佐世保市“明るい町づくり”推進協議会の依頼により製造したコンパクト盤(規格品番:40-35)で、三波春夫が歌唱する「明るい町づくり音頭」のB面曲としてテイチク・コーラスが歌唱した音源がある。
佐世保市役所では「市制施行記念式典や、小中学校の入学・卒業式などで歌われている」としている[2]。2013年(平成25年)には市制施行111周年記念事業として新録のCD音源が新規に作成され、市内の防災無線で正午を知らせる時報に使われるようになった[5]。
旧町歌
以下は2006年(平成18年)に佐世保市へ編入された町の町歌である。2曲いずれも合併時に「地域の歌」として存続させる旨の申し合わせが行われている。
宇久町町歌
「宇久町町歌」(うくまちちょうか)は、北松浦郡宇久町の町歌である。1965年(昭和40年)に町制10周年を記念して制定された。作詞は山田哲爾。歌詞は1967年刊の『宇久町郷土誌』巻頭に収められているが、作曲者の氏名と楽譜は未掲載。
1979年(昭和54年)に町民音頭「宇久島音頭」と合わせてレコードが製造されている[6]。
海光るまち
「海光るまち」(うみひかるまち)は、北松浦郡小佐々町の町歌である。1989年(平成元年)に町民音頭「小佐々音頭」と合わせて制定され、レコードが作られた[7]。作詞・西川巌、補作・島田陽子、作曲・(池田八声)。
小佐々支所管内では佐世保市への合併後、いずれも旧町立の小佐々中学校・小佐々小学校・楠栖小学校の3校をコミュニティ・スクール「海光る町学園」として一体運営しており、各校の校歌とは別に3校共通の学園歌として旧町歌の「海光るまち」を演奏している。
参考文献
出典
- ^ 市史教育編(1953), p323
- ^ a b 中山(2012), p393
- ^ 八波(1931), pp47-49
- ^ 市史総説編(1955), p364
- ^ 朝長則男 (2013年10月). “市長日記 佐世保市歌のCDを作成しました”. 広報させぼ. 佐世保市役所. 2023年4月15日閲覧。
- ^ 宮川密義 (2007年4月10日). “長崎の歌(65) ★昭和歌謡史・6 昭和51〜57年”. 長崎Webマガジン「ナガジン」. 長崎市役所. 2023年4月15日閲覧。
- ^ 宮川密義 (2008年4月29日). “長崎の歌(67) ★平成歌謡史・1 平成元年〜6年”. 長崎Webマガジン「ナガジン」. 長崎市役所. 2023年4月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 佐世保市歌