人物・来歴
1974年、小室孝太郎の推薦で手塚プロダクションに入社し、手塚治虫のアシスタントとなる[2]。2年後にいったん退社するが[2][1]、1979年に契約社員として復帰[1]。雑誌漫画の制作現場のサブ・チーフとして、手塚が死去するまでアシスタントをつとめる[3][1]。アシスタントとして製作に関与した作品に、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ユニコ』『シュマリ』『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』『火の鳥』(乱世編、異形編、太陽編)などがある[1]。手塚は自分のアシスタントに対し、早期に漫画家として独立し退職することを推奨していたが、その中にあっては異例の長期にわたる在籍者であった[1]。このため、死の一か月前、入院中だった手塚からの電話で「まだ手塚プロにいたのか!? いったい何年いるんだ!? 自分のマンガはどうした!!」と叱責されたこともあったという[2]。
代表作は、『アサヒグラフ』(朝日新聞社)に連載された手塚の伝記漫画『(手塚治虫物語)』(1989年8月25日号から1991年7月26日号まで連載、1992年刊)。1992年5月に手塚プロダクション漫画部が解散した際の、最後の社員となった[2]。
漫画賞受賞歴
作品リスト
- 残りの一匹(『週刊少年ジャンプ』1973年30号)
- 明日への剣(『マンガ少年』1977年3月号)
- 時男の時間旅行
- 予想屋勘太郎
- 『伝記世界の偉人 8 ガリレイ』永井道雄・手塚治虫監修 中央公論社〈中公コミックス〉、1985年9月 (ISBN 4-12-402496-7)
- 『基礎のバイク・トラブル・シューティング : いざというときのためのトラブル解決法 マンガで解説』カリバーブックス編 交通タイムス社、1988年3月
- 『(手塚治虫物語)』全2巻 朝日新聞社、1992年8月
- 『津田左右吉物語』美濃加茂市教育委員会編 美濃加茂市、1995年3月
- 『手塚治虫 21世紀をデザインしたまんが家』藤子・F・不二雄解説; 手塚プロダクション監修 小学館〈小学館学習まんが人物館〉、1996年4月 (ISBN 4-09-270103-9)
- 『宇宙飛行士になりたい!』毛利衛監修; 長沢光男著 集英社〈集英社版・学習漫画 お茶の水博士の夢講座 第1巻〉、2000年11月 (ISBN 4-08-288077-1)
- 『宇宙人に会いたい!』宇宙開発事業団・NASDA文庫研究会 監修; 岩田勉著 集英社〈集英社版・学習漫画 お茶の水博士の夢講座 第2巻〉、2000年11月 (ISBN 4-08-288078-X)
- 『恐竜世界のひみつ』金子隆一監修 学習研究社〈学研まんが新ひみつシリーズ〉、2003年7月 (ISBN 4-05-201763-3)
- 『NHKその時歴史が動いた コミック版 昭和史復興編』NHK取材班編 共著 ホーム社〈HMB〉、2008年6月 (ISBN 978-4-8342-7419-6)
- 『まんが幕末・維新人物伝』多田統一監修 共著 くもん出版、2012年12月 (ISBN 978-4-7743-2021-2)
脚注
- ^ a b c d e f 田浦紀子; 髙坂史章 編『親友が語る手塚治虫の少年時代』和泉書院、2017年4月7日、162頁。ISBN (978-4-7576-0833-7)。
- ^ a b c d 宮﨑克; 吉本浩二『ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜』 5巻、秋田書店、2014年8月15日。ISBN (978-4-253-13244-2)。
- ^ 伴俊男; 手塚プロダクション『手塚治虫物語 オサムシ登場 1928〜1959』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1994年11月1日、著者紹介頁。ISBN (4-02-261054-9)。