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京都市立伏見工業高等学校

京都市立伏見工業高等学校(きょうとしりつふしみこうぎょうこうとうがっこう)は、京都府京都市伏見区深草鈴塚町に所在する京都市立工業高等学校

京都市立伏見工業高等学校
北緯34度58分10.67秒 東経135度45分56.3秒 / 北緯34.9696306度 東経135.765639度 / 34.9696306; 135.765639座標: 北緯34度58分10.67秒 東経135度45分56.3秒 / 北緯34.9696306度 東経135.765639度 / 34.9696306; 135.765639
過去の名称 京都市立工業学校分教場
京都市立第二工業学校
京都市立伏見工業高等学校(第一次)
京都市立伏見高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1920年
課程 夜間定時制課程
設置学科 工業技術科
学校コード D126210000140
高校コード 26137J
所在地 612-0011
京都府京都市伏見区深草鈴塚町13
外部リンク 公式サイト
京都市教員委員会のサイト内
(ウィキポータル 教育)
ウィキプロジェクト 学校
(テンプレートを表示)

概要

1920年、京都市立工業学校の分教場として創立された。1925年、京都市立第二工業学校として独立の学校となった後、学制改革や学校再編によって幾度かの校名変更を経て、1963年から現校名となる。

全日制課程は、2016年4月に京都市立工業学校を前身とする京都市立洛陽工業高等学校と統合され、京都市立京都工学院高等学校となったが、夜間定時制課程は対象外のため、統合が完了した2018年度以降も、夜間定時制単独校として従来の校名・校地で存続している[1]

2021年4月に京都市立西京高等学校定時制と統合し、伏見工業高等学校の校地に(京都市立京都奏和高等学校)が開校した。

沿革

略歴

年表

  • 1920年大正9年) - 京都市立工業学校(洛陽工の前身校)の分教場として設立。
  • 1925年(大正14年) - 京都市立第二工業学校
  • 1948年昭和23年) - 学制改革で京都市立伏見工業高等学校となる。
  • 1949年(昭和24年) - 学校再編で京都市立伏見高等学校となる。
  • 1963年(昭和38年) - 再び、京都市立伏見工業高等学校となる(普通科生徒は京都市立塔南高等学校へ転籍)。
  • 2015年平成27年) - 2015年度より昼間定時制の募集停止。京都市立洛陽工業高等学校との統合が決定。
  • 2016年(平成28年) - 2016年度より全日制生徒の募集を停止。
  • 2017年(平成29年) - 全日制が京都工学院高等学校の校地に移転。
  • 2018年(平成30年) - 伏見工業高等学校全日制として最後の卒業式が行われる。2018年度より定時制単独の高等学校となる。
  • 2021年令和3年) - 京都市立西京高等学校定時制と統合し伏見工業高等学校の校地に(京都市立京都奏和高等学校)が開校[2]

アクセス

京阪電気鉄道京阪本線伏見稲荷駅より徒歩約6分

部活動

運動部

  • ソフトテニス部
  • バスケットボール部
  • 陸上部
  • 剣道部
  • 山岳部
死亡事故

2011年9月10日、午前9時より同校グラウンドにて旧ラグビー部の練習をしていた3年生男子部員(当時18歳)が走り込みをしていた正午頃に突然倒れ、痙攣などを起こした。病院に搬送されたが、約3時間後に死亡[3][4]

文化部

  • コンピューター部
  • 建築文化部
  • 測量部
  • 軽音楽部
  • 深草倶楽部

統合前の主要な成績

統合

京都市立高等学校の再編に伴い、昼間定時制課程が廃止され、全日制課程が京都市立洛陽工業高等学校と統合され、京都市立京都工学院高等学校が開校した。

  • 2015年度 - 昼間定時制の生徒募集停止。
  • 2016年度 - 全日制の生徒募集停止(京都工学院高等学校が開校)。
  • 2017年度 - 全日制が京都工学院高等学校の校地に移転。伏見工業高等学校全日制と洛陽工業高等学校の最後の在校生である3年生が京都工学院高等学校の校地に通学するようになった。
  • 2018年度 - 従来の校地に夜間定時制のみの学校として存続。

出身者

スポーツ

その他

  • 岸部一徳俳優
  • 関本郁夫映画監督) - 母校・伏見工業高校をモデルとした映画『(スクールウォーズ・HERO)』の監督。
  • 出江寛建築家
  • 山口務官僚、元九州通商産業局長 / 旧伏見高等学校卒)
  • 高崎利明教員、元ラグビー選手) - 2020年度より校長[5][6]。かつ後身校の京都工学院高校ラグビー部GM、および統合校の京都奏和高校開設準備室長も兼務。伏見工業高校ラグビー部全国初制覇時のメンバーであり、山口良治の後任の伏見工業高校ラグビー部監督も務めた。

関連項目

脚注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 伏見工高と同様に全日制が他校と合併して再編され、定時制が残った工業高校には愛知県立愛知工業高等学校がある。なお、定時制のみの学校は沖縄県立泊高等学校(ただし同校では厳密には通信制を併設)など数校があるのみである。
  2. ^ 定時制の新高校「京都奏和」に 伏見工と西京高を統合、21年4月開校 京都新聞
  3. ^ 伏見工ラグビー部員、練習中に倒れ死亡 熱中症の可能性 朝日新聞 関西
  4. ^ 讀賣新聞 2011年9月10日
  5. ^ “バトンを繋ぐ(校長室から)”. 京都市立伏見工業高等学校(定時制). 2020年10月2日閲覧。
  6. ^ “伏見工閉じる使命、栄光知る58歳校長の決意”. 日刊スポーツ. 2020年7月7日閲覧。

外部リンク

  • 公式サイト
  • 京都市立伏見工業高等学校(京都市教員委員会のサイト内)
  • 地図 - Google マップ
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