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伊達 宗基(だて むねもと)は、幕末から明治時代初期の大名、華族(伯爵)。仙台藩第14代(最後の)藩主。伊達氏第30代当主。幼名は建千代麿、亀三郎。号は榴岡、鶴城。
生涯
第13代藩主・伊達慶邦の四男。母は仙台藩士・(松岡時良)の娘・道子(お勝の方)。正室は松浦詮の三女・都子。
慶応4年(1868年)、父・慶邦が奥羽越列藩同盟の盟主になったために罰された。のち家督を譲られて藩主に就いたものの、新政府により62万石の所領を28万石に減封される。実高はもっと低く10万石程度であったために伊達家は伯爵となる。明治2年(1869年)の版籍奉還後、仙台藩知事となり、北海道紗那地方の支配も命ぜられた。位階は正四位。
しかし幼少であり、本来なら慶邦の跡を継ぐのは養子・宗敦であったため、明治3年(1870年)に謹慎を解かれた宗敦に藩知事を譲った。廃藩置県後、明治17年(1884年)に伯爵となる。
明治34年(1901年)、明治天皇の仙台巡幸の際、伊達家に伝わる鶴丸を献上。
明治44年(1911年)には正三位。大正6年(1917年)には従二位。同年、52歳で死去する。伊達伯爵家は弟の邦宗(慶邦の七男)が継いだ。