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伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - )は、日本の実業家。武藤絲治の恩情でカネボウに入社するが、のちに裏切りクーデターを起こし社長となり、武藤を代表権のない会長にした。社長の在任期間は16年、会長に8年、通算24年に渡り支配し、カネボウを解体に至らしめた。 日本航空元会長でもある。
略歴
- 1922年(大正11年)7月22日 - 中国青島市に出生
- 1947年(昭和22年) - 慶應義塾大学経済学部卒、鐘淵紡績(後のカネボウ)入社
- 1961年(昭和36年) - 経営多角化を目指す「グレーターカネボウ計画」の立案に関わる
- 1968年(昭和43年) - 武藤絲治(カネボウ武藤山治の息子)の後継指名を受け、45歳で社長就任。労使協調、「ペンタゴン経営」と称する経営多角化路線を更に推し進める
- 1984年(昭和59年) - 会長に就任
- 1985年(昭和60年) - 中曽根内閣による日本航空の民営化方針を受け、同社副会長を兼任
- 1986年(昭和61年) - 日本航空会長。『45/47体制』廃止対応や日本航空123便墜落事故の収拾に当る傍ら、労使協調と経営多角化路線をここでも推進
- 1987年(昭和62年) - 労使対立が深刻化し、任期半ばにして日本航空会長を辞任
- 1992年(平成4年) - カネボウ名誉会長を退く
- 1995年(平成7年) - 同社名誉会長を勇退。終身名誉会長に就く
- 2003年(平成15年) - 同社終身名誉会長を勇退。鐘紡記念病院名誉理事長に就任