伊勢寺 | |
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伊勢寺 | |
所在地 | 大阪府高槻市奥天神町1-1-19 |
山号 | 金剛山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 892年 |
開基 | 伊勢 |
中興 | 宗永和尚 |
正式名 | 金剛山象王窟伊勢寺 |
別称 | 伊勢姫隠棲跡・能因法師奉安所 |
公式サイト | 伊勢寺公式ホームページ |
法人番号 | 5120905002033 |
伊勢寺 伊勢寺 (大阪府) |
窟号は『象王窟』山号は『金剛山』。
本尊は聖観音菩薩。
歴史
金剛山象王窟伊勢寺は、で三十六歌仙の一人であり、百人一首第19番に採用された、平安時代の女流歌人『伊勢』の隠棲跡に建てられた曹洞宗のお寺。
伊勢姫は、時の貴族 父 藤原継陰が伊勢の守であったことから、国の名をそのまま「伊勢」呼ばれた。伊勢は七条の后の女御として仕え、当時皇太子であった宇多天皇の寵愛を受け、行明親王を産んだ。しかし、行明親王は不幸にも八歳で亡くなり、また宇多天皇も三十一歳で譲位され仁和寺御室に移られた。伊勢も桂に移り住んで和歌に励み、多くの歌集を残した。勅撰和歌集「古今和歌集」には小野小町の18首をしのぐ22首が選ばれている。一方で、宇多天皇の皇子 中務卿敦慶親王の愛を受け、女流歌人中務を産んだ。 中務も優れた女流歌人であり、伊勢と共に三十六歌仙に選定されている。伊勢は宇多上皇崩御の後、この地古曽部の里に幽棲して、宇多上皇と行明親王の御霊を祀り、 その多彩な生涯を閉じた。その後、伊勢の弟伊勢貞国が屋敷跡を寺として、代々その法灯を守り続けている。
伊勢姫の死後の寛平3年(892年)、その草庵は伊勢寺と号し、天台宗に属した。伊勢寺は、天正の頃に高山右近に焼き払われたという。当時の住職東雲和尚は、わずかに草庵を建て寺名を伝えた。現在の見られる堂は、元和元年から寛永(1615-1643)の頃、宗永和尚の代に、本山總持寺から蕉石和尚を請して中興開山とし建立された。この時に、天台宗から曹洞宗に転じた。400年を経た現在もなお總持寺直末として曹洞禅の古風を宣揚している。
本尊聖観世音菩薩は、慈覚大師の作と伝えられ、戦禍に耐え、雪風にも犯されず、平安の頃そのままの温容を保っている。本堂にかかる扁額は、江戸初期の傑僧、心越禅師の筆蹟である。
境内
- 山門
- 中門
- 本堂
- 金毘羅堂
- 不動堂
- 伊勢廟堂(伊勢姫廟)
- 伊勢姫顕彰碑
- 和田惟政墓
所在地
脚注
注釈
出典
参考文献
- 伊勢寺記
関連項目
外部リンク
- 伊勢寺公式ホームページ