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京阪260型電車

京阪260型電車[注釈 1](けいはん260がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道が所有していた電車路面電車車両)の1形式。京都府滋賀県に路線網を有する大津線系統(京津線石山坂本線)で使用された[1][6][7]

京阪260型電車
1次車(263 + 264)(一般色、1997年撮影)

4次車(285 + 286)(特急色、1978年撮影)
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 ナニワ工機日立製作所近畿車輛
製造年 1957年1962年 - 1963年1968年
製造数 26両(261 - 286)
運用終了 1997年10月12日
廃車 1997年
投入先 大津線京津線石山坂本線
主要諸元
編成 1両・2両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 95人(着席44人)(261 - 273)
95人(着席46人)(274 - 286)
車両重量 23.8 t(261 - 273)
23.5 t(274 - 286)
全長 14,900 mm
全幅 2,380 mm
全高 3,980 mm
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機 9-C(600 V、90 A、652 rpm)
主電動機出力 45 kw
歯車比 2.95
出力 180 kw
制御装置 EC-260(電動カム軸制御、(直並列組合せ制御))
制動装置 発電ブレーキ併用(非常直通ブレーキ)(SME)、手ブレーキ1971年 - 1973年以降)
備考 主要機器は200型から流用。
主要数値は[1][2][3][4][5][6][7][8]に基づく。
(テンプレートを表示)

導入

第二次世界大戦前に製造された旧型電車が使用されていた大津線の近代化を図るため、木造・半鋼製電車の200型の機器や台車を流用する形で1957年から1968年にかけて26両が製造された。全長14.9 m級、両側面に2箇所設置された乗降扉、貫通扉付きの前面3枚窓という車体形状は以降大津線に導入された高床式電車の標準型となった。また京津線の急行・準急用[注釈 2]に投入されたため、製造当時の塗装は上半分と屋根がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッドの京阪特急色であった[6][11][12]が、屋根については当時の京阪特急車両と同様に1960年代中頃より後半に掛けて灰色塗装に改められている。

全車とも急勾配を有する京津線での使用を前提としているため、制動装置に発電ブレーキを備えていた。電気制動を常用していたため、制動時にも吊掛駆動音が発生していた。

製造当初の集電装置はポールを用いた。主電動機は200形から流用したデッカーおよび東洋電機製造製の直流直巻電動機である9-C形が廃車まで用いられた[注釈 3][6][11][4]

製造は4次に渡って行われ、以下のような差異があった[11][13]

  • 1次車(261 - 267) - 1957年製。車体は両運転台、扉は片開きで、ナニワ工機が製造を手掛けた[1][11][14]
  • 2次車(268 - 273) - 1959年製。車体は両運転台、扉は両開きで、製造メーカーは日立製作所に変更された。先頭の運転台窓の形状が変更され、上部が開閉可能な2段スライド窓となった[1][11]
  • 3次車(274 - 279) - 1961年1963年製。車体は片運転台、乗降扉は両開きで、製造メーカーは日立製作所[1][11][13]
  • 4次車(280 - 286) - 1968年製。車体は片運転台、乗降扉は両開きで、製造メーカーは近畿車輛。車体のウィンドウシルがなくなり、屋根上の前照灯も製造当初から2灯設置されていた[1][13]
260形 主要諸元[15][16][17]
種別 1次車 2次車 3次車 4次車
車両番号 261-266 267 268-273 274-279 280-286
製造年 1957年 1959年 1961年1963年 1968年
製造所 ナニワ工機 日立製作所 近畿車輛
運転台
(製造時)
両運転台 片運転台
乗降扉 片開き 両開き
ウィンドウシル
前照灯
(製造時)
1灯 2灯
台車
(1970年以降)
ブリル
27E-1
ブリル
MCB-2X
ボールドウィン
BW
備考 269は1967年に台車を27E-1からMCB-2Xに変更[7]
267は1970年に台車を27E-1からMCB-2Xに変更[14]
281 - 286は1979年から1981年に台車をBWに変更[18]

変更・改造

1957年の営業運転開始以降、260型は機器の交換、方向転換、塗装変更など幾多もの改造・変更が行われた[15][18]

車体・機器の改造

製造当初、260型の機器類は全て流用元の200型のものを使用していたが、1次車から3次車(261 - 279)の制御装置や制動装置に関しては1965年に大津線の機器統一を図るため、制御装置がそれまでの電空カム軸制御方式から電動カム軸制御方式に、制動装置が発電ブレーキ併用空気ブレーキから発電ブレーキ併用(非常直通ブレーキ)(SME)に変更された。その後製造された4次車(280 - 286)に関しては製造当初からこの仕様であった[13][6][19]

1970年8月には大津線の集電装置がポールからパンタグラフに変更され、260型にもポールに代わり東洋電機製造製のPT-4303A形パンタグラフが1台設置された。それに併せて運転台側の先頭窓が2段式になったほか、大津線の全列車が2両編成になったことにより261 - 269が片運転台化された。また、同年には267の台車がMCB-2X形に交換された[13][6][20][21]

1979年から1981年にかけて281 - 286は500型に改造されたが、その際に捻出したボールドウィン製台車(BW形)は261 - 266へ転用された。これにより、京阪電気鉄道創業時から使用されていた27E-1形台車を使用する旅客用車両は消滅した[20]

後述する1981年の方向転換後、両運転台で残っていた270 - 273も翌1982年に片運転台に改造され、全車とも2両固定編成で運行されるようになった。そのため、連結面の連結器が棒連結器に改造された。また同年以降は261 - 270に対して前照灯の改造(1灯→2灯)、正面運転台窓枠のHゴム化、貫通幌の撤去、貫通扉下部の通風口の設置などの工事が施された[13][18][22]

方向転換

京津線石山坂本線が接続する浜大津駅(現:びわ湖浜大津駅)は、両線の直通列車のスイッチバック解消を始めとした運用上の不便の解消、浜大津交差点の混雑緩和、市街地整備などの目的から1981年4月12日に移設された。しかし、それによって京津線と石山坂本線では車両の向きが逆になり、両線を直通する場合連結や編成の組み換えができないことが予想された。そこで同年6月18日までに錦織工場に仮設されたターンテーブルを用いて方向転換が実施され、260形についても一部車両が対象となった[23][22][24]

塗装変更

281 - 286の車体を用いた改造車である500型は、京津線の優等列車用にも使用される車両ながら塗装は上半分が若草色(ライトグリーン)、下半分が青緑色(ダークグリーン)という(一般色)であった。これに合わせて260形についても1985年以降同様の塗装への変更が行われ、大津線から特急色は一時姿を消した[注釈 4][18][24][27]

廃車

 
京津線部分廃止に合わせ専用のヘッドマークや装飾が施された260形(1997年10月11日撮影)

前述の通り281 - 286は1979年から1981年に500型へと改造され、両開き扉を有していた2次車・3次車についても大津線初の冷房車となった600形へ車体を供出するため廃車となった[注釈 5]。そのため、600形の導入が完了した1988年以降残存したのは片開き扉を有していた1次車7両(261 - 267)と両開き扉の4次車1両(280)で、2両編成4本が組まれた[注釈 6][7][28]

その後もこれらの車両は大津線全線で使用されたが、冷房化の進展により1993年以降は朝夕のラッシュ時を中心とした運用となり、1997年10月12日の京津線部分廃止および大津線全線の直流1,500 Vへの昇圧に伴い全車廃車となった。そのうちトップナンバーである261 + 262編成には廃止区間のさよなら運転用のヘッドマークや装飾が施された[6][29]

形式消滅後、261と262のボールドウィン台車アメリカ(シーショアー・トロリー博物館)(英語版)へ無償譲渡され、所有車両の動態復元に用いられている[30][31]

なお、車体を供出した先となる600・700形[32]は今日でも現役であり、置き換え予定も今のところない。

車歴

京阪260型[7][33][34][30]
車両番号 竣工日 廃車・改造日 備考
261 1957年4月26日 1997年10月12日
262
263 1957年7月11日
264
265
266
267
268 1959年8月1日 1988年7月4日 車体は600形(620)へ流用
269 1987年7月4日 車体は600形(615)へ流用
270 1959年8月31日 車体は600形(616)へ流用
271 1988年4月19日 車体は600形(617)へ流用
272 1959年12月 車体は600形(618)へ流用
273 1988年7月4日 車体は600形(619)へ流用
274 1961年4月26日 1987年4月17日 車体は600形(613)へ流用
275 1986年7月4日 車体は600形(611)へ流用
276 車体は600形(612)へ流用
277 1963年6月3日 1986年4月22日 車体は600形(609)へ流用
278 車体は600形(610)へ流用
279 1987年4月17日 車体は600形(614)へ流用
280 1968年7月23日 1997年10月12日
281 1981年6月30日 500型(505)へ改造
282 1968年7月29日 500型(506)へ改造
283 1981年6月12日 500型(503)へ改造
284 1968年11月18日 500型(504)へ改造
285 1981年3月29日 500型(501)へ改造
286 1968年11月27日 500型(502)へ改造

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 最初の車両が製造された1957年当時、京阪電気鉄道は車両形式に「型」という漢字を用いていた。その後1986年に「形」へと変更したため、以降の形式表記は260形となった[9]
  2. ^ 急行については1981年4月のダイヤ改正で廃止された[10]
  3. ^ デッカー製の電動機は「DK-9C」、東洋電機製造製の電動機は「TDK-9C」形と形式が分かれていた。そのうちTDK-9Cは東洋電機製造が初めて製造した電車用の電動機であった。
  4. ^ その後、2012年9月26日に大津線開通100周年記念事業の一環として、600形(603 + 604)の塗装が特急色に変更され、2016年まで運行した[25][26]
  5. ^ 500型と異なり600形は書類上新造車両として登録された。
  6. ^ 編成の内訳は京津三条駅方面から「261 + 262」「263 + 264」「265 + 267」「267 + 280」であった。

出典

  1. ^ a b c d e f 東京工業大学鉄道研究部 1978, p. 296-297.
  2. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 84-88.
  3. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 134.
  4. ^ a b 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 136.
  5. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 164-165.
  6. ^ a b c d e f g 寺田祐一 2003, p. 61.
  7. ^ a b c d e 寺田祐一 2003, p. 150-151.
  8. ^ 清水祥史 2017, p. 186.
  9. ^ 清水祥史 2017, p. 3.
  10. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 145.
  11. ^ a b c d e f 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 84.
  12. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 8.
  13. ^ a b c d e f 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 85.
  14. ^ a b 東京工業大学鉄道研究部 1978, p. 107.
  15. ^ a b 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 84-85.
  16. ^ 東京工業大学鉄道研究部 1978, p. 109.
  17. ^ 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 81.
  18. ^ a b c d 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 88.
  19. ^ 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 107.
  20. ^ a b 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 138.
  21. ^ “”. . 京阪電気鉄道. 2008年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月14日閲覧。
  22. ^ a b 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 110.
  23. ^ 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 77.
  24. ^ a b “”. . 京阪電気鉄道. 2008年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月14日閲覧。
  25. ^ “京阪電車 大津線開業100周年記念 石山坂本線で「京阪本線特急色600形車両」を運行します! ~10月27日(土)には、臨時列車の運転や撮影会を実施!~”. 京阪電気鉄道 (2012年9月18日). 2019年12月14日閲覧。
  26. ^ “京阪「600形車両ラストランイベント」開催”. 鉄道ファン. 交友社 (2016年2月25日). 2019年12月14日閲覧。
  27. ^ “「大阪、京都、びわ湖を結ぶ京阪電車」のブランドイメージを統一 大津線車両のカラーデザインを変更します”. 京阪電気鉄道 (2017年3月13日). 2019年12月14日閲覧。
  28. ^ 清水祥史 2017, p. 184.
  29. ^ “”. . 京阪電気鉄道. 2008年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月14日閲覧。
  30. ^ a b “”. . 京阪電気鉄道. 2008年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月14日閲覧。
  31. ^ “京阪電気鉄道(株)『街をつなぐ、心をむすぶ : 開業90周年記念』(2000.10)”. 渋沢社史データベース. 2019年12月14日閲覧。
  32. ^ 500形に改造された車両は、700形に車体を供出した。
  33. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 171.
  34. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 173.

参考資料

  • 奥田行男、野村薫、諸河久『京阪』保育社〈日本の私鉄 7〉、1981年8月5日。ISBN (4-586-50541-9)。 
  • 飯島巌、青野邦明、諸河久『京阪電気鉄道』保育社〈私鉄の車両 15〉、1986年4月25日。ISBN (4-586-53215-7)。 
  • 寺田祐一『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』JTB〈JTBキャンブックス〉、2003年4月1日。ISBN (4533047181)。 
  • 清水祥史『京阪電車 1号型・「びわこ号」から「テレビカー」・「プレミアムカー」まで』JTBパブリッシング〈キャンブックス〉、2017年8月26日。ISBN (978-4533120817)。 
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