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京急大師線

大師線(だいしせん)は、京急川崎駅小島新田駅を結ぶ、京浜急行電鉄(京急)の鉄道路線である。全線が神奈川県川崎市川崎区内にある。駅ナンバリングで使われる路線記号はKK

大師線
大師線主力車両の1500形
基本情報
日本
所在地 神奈川県川崎市川崎区
起点 京急川崎駅
終点 小島新田駅
駅数 7駅
路線記号 KK
開業 1899年1月21日 (124年前) (1899-01-21)
所有者 京浜急行電鉄
運営者 京浜急行電鉄
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線距離 4.5 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 直流1,500 V, 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 (C-ATS)
最高速度 60 km/h[1]
(テンプレートを表示)
停車場・施設・接続路線
(凡例)
JR東:南武線
JR東:東海道線京浜東北線
川崎駅
本線
0.0 KK20 京急川崎駅
川崎駅前駅
川崎市電
新宿駅 -1926
0.8 六郷橋駅 (II) 1926-1949
本線旧線
六郷橋駅 (I) -1926
1.2 KK21 港町駅 (II) 1956-
久根崎駅 -1928
1.5 港町駅 (I) -1956
池端駅 -1928
2.0 KK22 鈴木町駅
花見橋駅 -?
味の素川崎工場
2.5 KK23 川崎大師駅
3.2 KK24 東門前駅
海岸電気軌道
3.8 KK25 大師橋駅
首都高速横羽線
貨物線(味の素線)
4.5 KK26 小島新田駅 (II) 1964-
JR貨:東海道貨物線
神奈川臨海鉄道:浮島線
4.8 小島新田駅 (I) -1964
川崎貨物駅
神奈川臨海鉄道:千鳥線
5.7 塩浜駅 *
? 塩留橋停留所 ***
6.8 入江崎駅 **
神奈川臨海鉄道:水江線
? 池上中門停留所 ***
? 日本鋼管池上正門前停留所 ***
JR貨:東海道貨物線
? 池上新田停留所 ***
8.0 桜本駅 **
川崎市電
  • *: 1964休止、1970廃止
  • **: 1951休止、1952川崎市に譲渡
  • ***: 1951以降に川崎市電停留所として開業
京浜急行電鉄発祥の地記念碑(川崎大師駅)

概要

「京急の創業路線」であり、路線名の通り沿線の川崎大師(平間寺)の参拝路線として開業した[2]。寺社仏閣へのアクセスを目的とした日本初の参詣鉄道であった[3]。また、当路線の輸送サービスと新聞などのプロモーションの影響により、正月に川崎大師に参拝することが庶民の間で人気となり、近代以降の初詣の一般化に大きな影響を与えた[3][4][5]。現在は臨海部の京浜工業地帯への通勤路線としても機能している[2]。基本的に線内折り返しの普通列車のみで、京急川崎駅で京急本線と接続している。

路線データ

  • 路線距離:4.5 km
  • 軌間:1435 mm
  • 駅数:7駅(起・終点駅含む)
  • 複線区間:全線
  • 電化区間:全線(直流1500 V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:60 km/h[1]
  • 保安装置:(C-ATS)
  • 列車無線誘導無線方式(IR)、デジタル空間波無線方式(デジタルSR)(併用)

沿線概況

大師線は多摩川の南側を大師道(国道409号)に沿って東西方向に走っている。

京急川崎駅1階の大師線ホームを発車すると、北東へ直進して本線への連絡線および川崎変電所へ至る車両基地を右折し、東方へ直進して大師道(国道409号)を平面交差する。やがてカーブで減速し六郷橋(および旧六郷橋駅)の下をくぐる。そのまま徐行運転を続け、東南東方向にカーブし港町駅に至る。そして、ほぼ東へ直進し、運河橋梁付近を高架で通過し鈴木町駅付近で地上に戻る。そのまま地上を直進し川崎大師最寄りの川崎大師駅を出た付近で再び大師道(国道409号)と平面交差する。川崎大師駅からは東北東方向に約0.2kmほど進み、国道と並行して東方へ直進する。そのまま東門前駅を通ると、2019年に地下化された大師橋駅へ至り、ここで産業道路(神奈川県道6号)と、首都高速横羽線を立体交差で通過する。大師橋駅を過ぎると東南東方向に向きを変えて地上に上がり、終点の小島新田駅に達する。

2005年頃から港町駅 - 大師橋駅間の沿線で大規模マンション建設が相次ぎ、2007年から2016年の10年間だけでも沿線人口は33%増加した[6]。鈴木町駅、川崎大師駅、東門前駅の南側は昔ながらの商店街も賑わっており、商店街の周辺に閑静な住宅地も広がっている。大師道(国道409号)より北側は多摩川リバーサイド地区、大師河原・殿町地区として大師線地下化事業や首都高速川崎線整備とともに都市再整備が進められ、工場跡地を利用した大規模マンションや複合商業施設の建設も行われた。

川崎大師で有名な大師線ではあるが、大師橋・産業道路以東に広がる工業地帯や、60を超える企業・機関が誘致されているキングスカイフロントへの通勤路線としての一面もあり、小島新田駅周辺からは浮島地区各社の通勤バスも発着している。また、大師線沿線から東京都心、横浜方面、羽田空港へのアクセスが良好なこともあり、沿線人口の増加とともに朝夕の乗客の流れに変化が起きている。

運行形態

普通列車のみ運行されている。全列車が京急川崎駅 - 小島新田駅間を往復する運用で、他路線との直通や途中駅での折り返しはない。ワンマン運転は行われていない。

毎年大晦日から元日にかけては川崎大師参拝客のため終夜運転が行われる(2021年以降は未実施)。また、かつては本線からの直通電車が年末年始に運転されることがあった。1956年から1972年まで(1965年と1971年は工事の影響で運転せず)は品川からの直通急行が運転され[7]、2000年代初頭の正月ダイヤでは本線からの直通列車が運転されたことがある[8][9]

基本的に平日ラッシュ時5分間隔、日中は10分間隔の運転となっているが、1月上旬の川崎大師参拝客輸送を始め、沿線行事やイベントのある日には日中6分間隔に増発される。

原則、京急川崎駅では3番線を使用する。車庫に入る場合のみ1番線を使用する。

使用車両

各形式ともホーム有効長の関係上4両編成のみが運用される。このため、8両固定編成しかない2100形は入線できない。1500形、新1000形以外の形式は年末年始などに行われる増発時や検査時における車両不足の際にまれに運用されることがある。1500形以外の車両についても、1500形の廃車本格化に伴い、恒常的な運行を開始した。

過去の使用車両

1500V昇圧以降は140形230形400形500形700形1000形2000形などが使用された。800形については3両編成時代も含めて運用実績がなかった。

歴史

1899年(明治32年)川崎大師への参拝客輸送を目的として開業した、京浜急行電鉄最古の路線である。営業運転を行う鉄道としては日本で初めて標準軌を採用し、また電車による運行は関東で初めてのものである。人力車組合の反対で遅れていた現在の京急川崎駅への乗り入れも3年後の1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅京急本線京急鶴見駅 - 花月総持寺駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設されることになり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師 - 総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現・JR東日本鶴見線)に買収されたのち1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線の大師 - 大師河原間は現在の川崎大師駅 - 大師橋駅間とほぼ一致しているが、大師橋駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。同駅の手前から産業道路横浜方面へ伸びる細い道が海岸電気軌道線の跡である(「(海岸電気軌道#海岸電軌廃線跡の現状)」も参照)。

同線の開通以降川崎大師へは毎年各地からの参拝客で大いに賑わうこととなり、それまで初詣といえば地元の神社仏閣へ参拝するのが習慣であったものを、各地の有名社寺まで電車に乗って初詣をするという習慣に変えた歴史的にも意義のある路線である[11]。開業後、会社の予想を大幅に超える収益を上げたことから京浜間に路線網を拡大する基礎を築くとともに、各地の電気軌道計画に影響を与えることとなった[注釈 1]

太平洋戦争中は陸上交通事業調整法により1942年から東京急行電鉄の運営となり、防諜上の理由により一部駅名を変更した。また、工業地帯への通勤輸送を担うため、海岸電気軌道の廃線跡を一部活用して桜本駅まで延伸された。

戦後、京浜急行電鉄として独立後の1952年に塩浜駅 - 桜本駅間を川崎市交通局(当時は交通部)に譲渡し、1964年には国鉄塩浜操車場(塩浜操駅・現在の川崎貨物駅)建設のため小島新田駅 - 塩浜駅間が休止され(小島新田駅も西に移転)、1970年に正式に廃止、現在の路線が確定した(「(海岸電気軌道#京急大師線と川崎市電の臨海部延長)」も参照)。

1949年より鈴木町駅 - 桜本駅間で下り線が1067 mm軌間との三線軌条となり、沿線の味の素川崎工場と、日本冶金工業から国鉄の貨物線への貨物輸送が行われた(さらに三線軌条の内側の1067 mm軌間は川崎市電日本鋼管前電停まで繋がっていた)。その後、前述の線路変更の結果、1964年以降は塩浜操車場(塩浜操駅)から川崎大師駅先にある味の素川崎工場までに短縮され、大師線の旅客列車終車後に味の素へ出入りする貨物列車が運転されていた(運行は神奈川臨海鉄道が請け負っていた[12])。1960年代の最盛期には1日2便運行されたが、トラック輸送および(コンテナ)への移行により貨物列車の運行が減り(末期は不定期に週2日程度)、1997年に貨物輸送が廃止されたため、現在は通常の二線軌条となっている(「(神奈川臨海鉄道#歴史)」、「(川崎市電#特徴のあった区間)」も参照)。

年表

  • 1899年明治32年)
    • 1月21日 - 大師電気鉄道により川崎駅(後の六郷橋駅) - 大師駅(現在の川崎大師駅)間が開業。川崎駅、池端駅、大師駅が開業。
    • 4月25日 - 大師電気鉄道が京浜電気鉄道に社名変更。
    • 11月29日 - 全線が複線化。
  • 1902年(明治35年)9月1日 - 川崎駅が六郷橋駅に改称。本線の一部として川崎駅(現在の京急川崎駅) - 六郷橋駅間が開業。川崎駅、下新宿駅(後の新宿駅)が開業。
  • 1904年(明治37年)3月1日 - 全線が1372 mmに改軌。
  • 1906年(明治39年)10月1日 - 本線の川崎駅 - 六郷橋駅間が編入され起点駅が川崎駅に変更。
  • 1918年大正7年) - 発電所前駅が久根崎駅に改称。
  • 1925年(大正14年)11月 - 川崎駅が京浜川崎駅、大師駅が川崎大師駅に改称。
  • 1926年(大正15年)12月24日 - 京浜国道(現・国道15号)の改築に伴い六郷橋駅が新線上に移転し、京浜川崎駅 - 六郷橋駅間が経路変更・専用軌道化。旧線上の新宿駅が廃止。
  • 1928年昭和3年)12月28日 - 六郷橋駅 - 川崎大師駅間が経路変更・専用軌道化。旧線上の久根崎駅、池端駅が廃止。
  • 1929年(昭和4年)
    • (月日不明) - 河川事務所前駅(現在の港町駅)が臨時駅として開業。
    • 12月10日 - 味の素前駅(現在の鈴木町駅)が開業。
  • 1931年(昭和6年) - 河川事務所前駅が廃止。
  • 1932年(昭和7年)3月21日 - 河川事務所前駅がコロムビア前駅として再開業。
  • 1933年(昭和8年)4月1日 - 全線が1435 mmに再改軌。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 - 京浜電気鉄道が東京急行電鉄に合併(大東急)。東急の路線(東急品川線の一部)となる。
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • (月日不明) - 六郷橋駅が休止。
    • 2月1日 - コロムビア前駅が港町駅に改称され営業再開。
    • 6月1日 - 川崎大師駅 - 産業道路駅(現在の大師橋駅)間が開業(軌道法に基づく軌道線)。東門前駅、産業道路駅が開業。
    • 10月1日 - 産業道路駅 - 入江崎駅間が開業(軌道法に基づく軌道線)。小島新田駅塩浜駅、入江崎駅が開業。
    • 10月20日 - 味の素前駅が鈴木町駅に改称。
  • 1945年(昭和20年)1月7日 - 入江崎駅 - 桜本駅間が開業(軌道法に基づく軌道線)。大師線全通。桜本駅が開業。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足。
    • (月日不明) - 塩浜駅 - 桜本駅間が単線化。
  • 1949年(昭和24年)7月1日 - 休止中の六郷橋駅が廃止。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月 - 塩浜駅 - 桜本駅間が休止。
    • 3月16日 - 京浜川崎駅 - 塩浜駅間の架線電圧が1500 V に昇圧され、塩浜駅 - 桜本駅間を除き京浜急行電鉄全線で架線電圧統一。600 V のままの塩浜駅 - 桜本駅間に川崎市電が乗り入れ開始。
  • 1952年(昭和27年)1月1日 - 塩浜駅 - 桜本駅間を川崎市へ譲渡し、川崎市電の一部となる。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1964年(昭和39年)3月25日 - 小島新田駅 - 塩浜駅間が塩浜操駅(現在の川崎貨物駅)建設のため休止。小島新田駅が京浜川崎駅寄りに300m移転。
  • 1970年(昭和45年)
    • 11月12日 - 空港線とともに(1号型ATS)の使用を開始。京浜急行電鉄全線のATS化が完了。
    • 11月20日 - 小島新田駅 - 塩浜駅間が正式に廃止。現在の路線が確定。
  • 1977年(昭和52年)5月10日 - 川崎大師駅 - 小島新田駅間が軌道法に基づく軌道線から地方鉄道法に基づく地方鉄道線に変更。
  • 1987年(昭和62年)6月1日 - 京浜川崎駅が京急川崎駅に改称。
  • 2009年平成21年)2月14日 - 保安装置が(C-ATS)に更新。
  • 2010年(平成22年)3月14日 - 小島新田駅が1面2線化。
  • 2015年(平成27年)7月7日 - デジタル空間波列車無線(デジタルSR無線)の使用を開始[14]
  • 2019年(平成31年)3月3日 - 東門前駅 - 小島新田駅間が地下化。同時に産業道路駅-小島新田駅間が複線化され、全線複線化が完了[15]
    • 前日の3月2日営業運転終了後から地下化切替工事を開始。当日は始発から午前10時頃まで大師線全線を運休し、JR川崎駅東口バスターミナル(川崎モアーズ前) - (国道409号経由) - 小島新田児童公園前間でバス代行輸送が実施された(運行は川崎鶴見臨港バスが担当。一部駅付近の臨時バス停以外は各駅付近の同社既存バス停を活用)[16]
  • 2020年令和2年)3月14日 - 産業道路駅が大師橋駅に改称[17]

駅一覧

  • 全駅が神奈川県川崎市川崎区内に所在する。ホーム有効長は4両編成分となっている。
  • 京急川崎駅 - 港町駅間について、京急川崎駅の港町方には本線との連絡線があり、車両の検査や入れ替えの際に使用される。
駅番号 [18] 駅名 駅間
営業キロ
累計
営業キロ
接続路線
KK20 京急川崎駅 - 0.0 京浜急行電鉄  本線
東日本旅客鉄道  東海道線上野東京ライン)・  京浜東北線  南武線川崎駅:JT 04・JK 16・JN 01[* 1]
KK21 港町駅 1.2 1.2  
KK22 鈴木町駅 0.8 2.0  
KK23 川崎大師駅 0.5 2.5  
KK24 東門前駅 0.7 3.2  
KK25 大師橋駅
【旧駅名 産業道路】
0.6 3.8  
KK26 小島新田駅 0.7 4.5  
  1. ^ 京急川崎駅とJR東日本の川崎駅との間の連絡運輸は定期券でのみ行われている。

廃駅

廃止・譲渡区間の駅は「廃止・譲渡区間」の節を参照

六郷橋駅
京急川崎 - 港町、1899年開業、1949年7月1日廃止
池端駅
六郷橋 - 川崎大師の旧線上、1899年開業、1928年12月28日廃止

廃止・譲渡区間

小島新田駅 - 塩浜駅 - 入江崎駅 - 桜本駅

  • 塩浜駅 - 桜本駅間 : 架線電圧600Vのまま存置され、大師線の1500V昇圧時に川崎市に譲渡された。
  • 小島新田駅 - 塩浜駅間 : 国鉄塩浜操車場の建設に伴い、1964年(昭和39年)に休止、1970年(昭和45年)正式に廃止となった。なお、川崎市電の塩浜電停 - 池上新田電停(旧入江崎駅と桜本駅の間に存在した電停)間は一足先の1967年(昭和42年)に廃止となっている。

乗降人員

2019年度の1日平均乗降人員は下記のとおり[19]。括弧内は2000年度の1日平均乗車人員[20]。(乗車人員と乗降人員は異なる)

  • 京急川崎駅:132,524人(52,445人) - 本線の旅客を含む
  • 港町駅:7,963人(2,470人)
  • 鈴木町駅:11,229人(3,841人)
  • 川崎大師駅:18,231人(8,024人)
  • 東門前駅:13,062人(3,644人)
  • 大師橋駅:10,803人(4,262人)
  • 小島新田駅:22,743人(12,056人)

連続立体交差事業(地下化)

踏切解消等を目的とした「京浜急行大師線連続立体交差事業」として、小島新田駅を除くほぼ全線で地下化工事が計画されていた。JR川崎駅地下で川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)に乗り入れる計画だったが、川崎縦貫高速鉄道は計画廃止となったため、大師線の地下化も計画が縮小された。

第1期区間とされた小島新田 - 川崎大師間のうち、大師橋駅の東側で大師線と直交する「産業道路」(神奈川県道6号東京大師横浜線)の踏切を優先的に解消させるため、小島新田 - 東門前間は2019年3月3日に地下化が完了した[15]

残る東門前 - 鈴木町間は2019年度に工事着手し[21](その後、2020年度に変更[22])、2023年度にそれぞれ地下化される計画となっていた[23]。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による社会経済状況の変化や、川崎市の財政難により事業費や工期・設計等の詳細な検討や精査を要することなどから、2020年度の工事着手は見送られることとなった[22]。今後の計画については2021年度第3期実施計画(素案)で検討結果を明らかにする[22]。これについて京急は感染症の影響等による減収・減益があり、工事着手は困難であると説明している[22]

第2期区間とされた川崎大師 - 京急川崎間は、路線を大きく南側に移設して地下化し、さらに国道15号との交差地点に新駅「宮前駅(仮称)」の設置が予定され、市役所など市の中枢機能が集中する同地区やカルッツかわさきへのアクセス改善が計画されていた。しかし、すぐに工事着手できない状況であることから、2016年3月29日付けで休止となり[24]、その後、2017年10月27日に行われた平成29年度第1回川崎市公共事業評価審査委員会にて審議した結果、第2期区間と並行して都市決定されている川崎縦貫道路(高速部)1期事業も休止中で一体的な整備が困難であることや費用対効果などを勘案し、中止が決まった[25]。今後は都市計画廃止・変更(鈴木町すり付け)手続きが予定されているほか、計画中止により残される踏切のうち、京急川崎 - 港町間の「本町踏切」(国道409号との交差箇所)は立体交差化による自動車ボトルネックの解消が検討されており、工法によって300億 - 550億円の概算見積りがなされている[26]。一方、第2期区間中止の主因となった川崎縦貫道路は、東京外かく環状道路と一体化する形で国土交通省、東京都、川崎市の間で検討が進められ[27]、整備再開の可能性も出てきている。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 開業後の一か月平均の収入が70 - 80円。火力発電などの経費を差し引いた純益が50円前後に上ったが、一因としては運賃が六郷橋 - 大師間で上等8銭・下等5銭と高かったこともある。1932年3月2日、横浜蚕糸外四品取引所に額面20円で株式上場したところ前場で22円80銭、後場で23円まで高騰した。

出典

  1. ^ a b 『京急電鉄のひみつ』 - PHP研究所
  2. ^ a b “京急の最初の路線「大師電気鉄道」が開業した日 川崎~大師間 -1899.1.21”. 乗りものニュース (2022年1月21日). 2023年1月29日閲覧。
  3. ^ a b “鉄道トリビア(286) 初詣の慣習は鉄道会社の集客競争がきっかけで広まった”. マイナビニュース (2015年1月10日). 2023年1月29日閲覧。
  4. ^ “初詣の成り立ちは鉄道のプロモーション?!初詣の意外な歴史に迫る!”. マツログ. オマツリジャパン (2020年12月28日). 2023年1月29日閲覧。
  5. ^ “初詣は「日本の伝統」じゃない! 実は、鉄道会社がつくり上げたものだった”. Merkmal(メルクマール) (2022年5月21日). 2023年1月29日閲覧。
  6. ^ “京急大師線連続立体交差事業”. 川崎市. 2020年10月11日閲覧。
  7. ^ 吉本尚 『京急ダイヤ100年史 1899−1999』 電気車研究会、1999年4月1日 p.110-p119
  8. ^ (プレスリリース)京浜急行電鉄、2002年11月22日。 オリジナルの2003年2月2日時点におけるアーカイブ2015年8月4日閲覧 
  9. ^ (PDF)(プレスリリース)京浜急行電鉄、2003年12月9日。 オリジナルの2005年2月10日時点におけるアーカイブ2015年8月4日閲覧 
  10. ^ 京急新1000形が大師線運用に|鉄道ファンrailf.jp2008年1月9日閲覧
  11. ^ 朝日放送ビーバップ!ハイヒール』2009年12月17日放送。
  12. ^ 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会、1993年3月。 
  13. ^ 「鉄道ニュース」『信号保安』第11巻第12号、信号保安協会、1956年12月1日、16頁、ISSN 0286-3006“信号場の開設” 
  14. ^ 鉄道ピクトリアル』2017年8月号 (No.935) p238 - p239、電気車研究会
  15. ^ a b 京急大師線連続立体交差事業(1期(1)区間)地下運行を開始しました。 - 川崎市建設緑政局、2019年3月5日閲覧。
  16. ^ “3月3日(日)大師線運休およびバス代行輸送実施のお知らせ”. 京浜急行電鉄. 2020年5月19日閲覧。
  17. ^ “京急線6駅の駅名を2020年3月14日(土)に変更します” (PDF). 京浜急行電鉄 (2019年12月16日). 2019年12月16日閲覧。
  18. ^ 2010年10月21日より導入。
  19. ^ “駅別一日平均乗降人員”. 京急電鉄. 2021年4月9日閲覧。
  20. ^ “川崎市統計書”. 川崎市. 2021年1月1日閲覧。
  21. ^ “道路施設等の計画的な老朽化・地震対策の推進について” (PDF). 川崎市. p. 8. 2019年1月25日閲覧。
  22. ^ a b c d 川崎市建設緑政局 (29 January 2021). 令和2年度 川崎市まちづくり委員会 (PDF). 令和3年1月29日 大規模投資的事業についての資料 (PDF). pp. 8–10. 2021年2月6日閲覧
  23. ^ “京浜急行大師線連続立体交差事業 都市計画事業認可の変更について” (PDF). 川崎市. 2016年4月29日閲覧。
  24. ^ “京浜急行大師線連続立体交差事業”. 川崎市 (2016年4月13日). 2016年4月27日閲覧。
  25. ^ 連続立体交差事業 京浜急行大師線 平成29年度再評価実施事業 調書 (PDF) - 川崎市、2019年3月3日閲覧。
  26. ^ “京急大師線連続立体交差事業の今後の進め方について”. 川崎市議会まちづくり委員会 (2019年2月8日). 2019年6月7日閲覧。
  27. ^ “東京都区間 | 道路 | 国土交通省 関東地方整備局”. www.ktr.mlit.go.jp. 2020年4月9日閲覧。

参考文献

  • 今尾恵介『関東2』新潮社〈日本鉄道旅行地図帳〉、2008年。(ISBN 978-4-10-790022-7)。 

関連項目

外部リンク

  • 路線図・各駅情報 - 京浜急行電鉄(KEIKYU)
  • - ウェイバックマシン(2012年3月6日アーカイブ分)
  • 京急電鉄120年の歴史は大師線から始まった - 開業当時の経路を歩く - マイナビニュース
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