井田 是政(いだ これまさ、生没年不詳)は、日本の武士であり、地名に残る開拓を行った領主。北条氏照の家臣であり、主君の自害後に現在の東京都府中市是政の地(古くは「横山村」)を開拓し村を開いた。この功績により、この地に名が付いた。
東京競馬場第3コーナー付近の通称「大欅」のところに井田一族の墓(是政塚)があり、この墓からは鎌倉・室町時代の板碑が出土している。
開拓された地の地名は「是政」と付けられた。武蔵国多摩郡是政村(江戸時代 - 1899年)、多磨村是政(1899年 - 1954年)となり、府中市施行によりこの多磨村は府中町(府中駅)や西府村と合併、府中市是政となった。
- (井田佐兵衛)
- (是政村)
- (是政町)
- 是政橋
- 是政駅
- (是政八幡神社)(府中市是政鎮座) - 灯篭に「武州是政村」と記されている
- 安養寺 (東京都府中市)
- 橘樹郡井田村
- (是政特別)
- (是政商店街) - 井田摂津家・家来のパレード
- (是政の渡し)
- 畠山重忠の15代目が井田次郎四郎摂津守是政・井田摂津守是政とも[要出典]
資料
- 新編(武蔵風土記稿) 91,63巻
- 神奈川県川崎市中原区井田という地名があり、井田摂津守の城がある
- 日本財団図書館 - 多摩川競艇場(是政競艇場)の歴史
- 府中市史史料集 東京都府中市
- 井田是政の墓と是政周辺の地図 府中市資料[]