井出 正次(いで まさつぐ)は、戦国時代から江戸時代初期の幕臣で代官および遠国奉行 。駿河代官・三島代官・駿府町奉行を歴任した。
生涯
井出正次の出自である井出氏は武田氏の駿河侵攻の際に今川氏側として富士城にて抗戦、今川氏凋落後は後北条氏の庇護を受けた。その後正次は徳川家康に召し抱えられ、天正10年(1582年)に駿河代官に任ぜられた[1]。また駿河国富士郡に発給される徳川家康朱印状の奉者となり[2]、多くの文書が残る。
慶長6年(1601年)には志摩守に叙任されていたといい[3][4][注釈 1]、また三島代官に任ぜられている[5][6][1]。慶長12年(1607年)には駿府町奉行となっている[7][8]。このように正次は要職を歴任している。
慶長14年(1609年)2月26日に死去。台徳院殿御実紀巻九には「駿河町奉行兼代官井出志摩守正次病なくして頓死す」とあり、急死であったとしている。この正次の活躍により、井出家は代官を輩出する家柄となった。
脚注
注釈
出典