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井上昭

井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 2022年1月9日)は、日本映画監督京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業[1]

いのうえ あきら
井上昭
生年月日 (1928-12-10) 1928年12月10日
没年月日 (2022-01-09) 2022年1月9日(93歳没)
出生地 京都府
死没地 京都府京都市
職業 映画監督
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来歴

1950年大映京都撮影所に入社、助監督となる。同期には土井茂黒田義之池広一夫らがいる。

助監督として溝口健二森一生吉村公三郎らについた。井上は森から映画を撮るテクニックを、溝口から「形而上学的な情念の世界」を学んだと述べている[2]1960年に『幽霊小判』で監督としてデビュー[1]。井上によるとこの作品は『悪魔のような女』を時代劇にアレンジしたものだという。監督デビュー以降も『大菩薩峠』、『釈迦』では助監督を務めた[3]。大映在籍中に21本の作品で監督を務めた。1966年に公開された『眠狂四郎多情剣』では眠狂四郎を演じた市川雷蔵にカメラを持たせ、敵地へ向かう狂四郎の足元を自身の真上から撮影させるなど、特異な画面作りを施した[4]。大映を退社した後はテレビを中心に活躍した。大映ではシリーズ物作品のマンネリ化を防ぐため、自分に監督が回ってきていたと回想した[5]

1992年に製作された田村正和主演、『子連れ狼 その小さき手に』で約23年振りに映画作品で監督を務めた[6]

2010年代に入り、『(鬼平外伝)シリーズ』(『夜兎の角右衛門』・『熊五郎の顔』・『正月四日の客』・『四度目の女房』)や『(藤沢周平 新ドラマシリーズ)』(『(遅いしあわせ)』・『(冬の日)』・『小ぬか雨』)(いずれも時代劇専門チャンネル)の演出を手掛ける等、80歳を超えても精力的に活動していた。

井上は、自身が監督を務めた作品の中で気に入っているのは『勝負は夜つけろ』であると述べている。

2022年1月9日、脳梗塞肺炎のため、京都府京都市内の病院で死去。93歳没[7]。時代劇専門チャンネルのオリジナル時代劇最新作『(殺すな)』が生前最後の監督作品となった。

監督作

映画

テレビドラマ

参考文献

  • 黒井和男『日本映画・テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年12月、42頁。ISBN (487376033X)。 
  • 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年11月12日、68頁。ISBN (4816911111)。 
  • 室岡まさる(インタビュー・構成) 編『市川雷蔵とその時代』徳間書店、1993年。ISBN (4195552370)。 
  • 『日本映画人名事典 監督篇』キネマ旬報社、1997年11月、101 - 102頁。ISBN (4873762081)。 

脚注

  1. ^ a b “井上 昭”. 日本映画監督協会. 2021年7月16日閲覧。
  2. ^ 市川雷蔵とその時代、249-251頁。
  3. ^ “日本映画の玉(ギョク)』 井上昭が語る三隅研次 『町奉行日記 鉄火牡丹』のこと”. 映画の國. 2022年8月28日閲覧。
  4. ^ “井上昭監督の奇抜発想を支えた大映の制作布陣!春日太一の木曜邦画劇場”. 文集オンライン (2018年2月15日). 2021年8月22日閲覧。
  5. ^ “日本映画の玉(ギョク)』 井上昭が語る三隅研次”. 映画の國. 2022年8月28日閲覧。
  6. ^ “子連れ狼 その小さき手に”. 一般社団法人 日本映画製作者連盟. 2021年8月20日閲覧。
  7. ^ “映画監督の井上昭が93歳で死去、時代劇を中心に活躍”. 映画ナタリー (2022年1月13日). 2022年1月13日閲覧。

外部リンク

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