亀山城(かめやまじょう)は、現在の和歌山県御坊市湯川町丸山にあった日本の城(山城)[1]。日高平野一帯を支配した国人領主・湯河氏(湯川氏)が拠点とした[3]。
概要
日高平野を一望できる[4]亀山の山頂に築かれた城で、標高122m、比高114mに位置する[1]。亀山全体に曲輪が配置された大規模な城であり、亀山の主峰にある主郭の他、南東約250mの小峰とそこから東に200mの尾根先端部に出城があった[5]。また主郭の周囲には階段状に並ぶ小規模な曲輪が多数存在した[5]。
亀山城は、道湯川(和歌山県田辺市[6])から日高地方に進出した湯河氏3代当主・(弥太郎光春)により築かれたとされ、築城時期は正平3年/貞和4年(1348年)頃と推測されている[7]。亀山城の南東約500mには、天文18年(1549年)頃建てられたとされる湯河氏の居館・(小松原土居)(小松原館)が位置していた[8]。
天正13年(1585年)3月、羽柴秀吉による紀州攻めへの抵抗を決めた湯河氏当主の直春は、羽柴軍が亀山城に迫ると自ら城を焼き、熊野に落ちていったという[9]。4月には秀吉が「小松原城」(亀山城)を普請したことを示す書状があるが(『武徳編年集成』)、詳細は不明[10]。
脚注
- ^ a b c d 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 80.
- ^ a b “亀山城跡”. 御坊市ホームページ. 御坊市役所. 2023年1月30日閲覧。
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, pp. 68, 80.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981b, p. 1477.
- ^ a b 和歌山城郭調査研究会 2019, pp. 80–83.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 68.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981b, pp. 1475–1477.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 78.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981a, pp. 496–499.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981a, p. 501.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 83.