経歴
岩手県九戸郡侍浜村(現・久慈市)出身[1]。1970年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒[1]。同年、岩手放送に就職する[1]。1979年、当時久慈市長であった父の久慈義巳が病死し、当時34歳であった長男の義昭が市長選に立候補、当選した。以後、6期にわたり久慈市長を務めたが、2003年の統一地方選で岩手県議5期の山内隆文に敗れた。[2]
1991年1月、リトアニアに対するソ連の武力介入に対し、久慈市はゴルバチョフ大統領に抗議電報を送った[3]。
その後、久慈市とクライペダ市の交流実績により、2003年2月にリトアニア共和国から久慈義昭市長(当時)に(ヴィータウタス大公将校十字勲章)が授与された[4]。
2015年春の叙勲で旭日中綬章受章。
脚注
参考文献
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。