久和 ひとみ(くわ ひとみ、1960年9月25日 - 2001年3月1日[1])は、日本のニュースキャスター。趣味、特技はクラシック音楽、相撲観戦。元夫はテレビ朝日ディレクターの小林雄高。フォーサイト・ファイブに所属していた。
生涯
東京都武蔵野市出身。東京都立国立高等学校卒業後、一浪して早稲田大学政治経済学部政治学科卒業[2][3]。
東京の民放キー局受験に全て失敗した。1984年に早大卒業後は、テレビ朝日の『CNNデイウォッチ』初代キャスターとなる[1]。当初、担当期間は3ヶ月か6ヶ月と言われていたが、キャスターとしての才能を担当者に見いだされ契約期間を延長。さらに、チャレンジャー号爆発事故の緊急ニュースを担当したことで一躍有名となり、最終的に1988年9月まで4年半担当した。降板後は『モーニングショー』など複数の番組でリポーターを中心に担当。
その後、これらの経歴を買われ、1989年4月にTBSと専属契約。荒川強啓とともに、ローカルニュース『テレポート6』キャスターとして起用された。番組そのものは荒川と久和の登場後1年で終了し、1990年春に『JNNニュースコープ』と統合されて『JNNニュースの森』となったが、引き続き荒川とメインキャスターを務めた[4]。
1996年3月、『JNNニュースの森』との契約期間満了と番組リニューアルを機に降板、同時に夫とも離婚[4]。コロンビア大学に留学し、研究を重ねた。1998年2月に帰国後、政治・経済面に強いキャスターとして、1999年10月にテレビ東京の『TXNニュースアイ』のメインキャスターに起用された。この『ニュースアイ』のタイトルは彼女の名前「ひとみ」(eye)に因んだものである。
しかし2000年10月初頭、体調不良により検査を受けた結果、子宮癌を患っている事が判明。同年10月20日放送分を最後に『ニュースアイ』を休演(事実上降板)し、手術を受けた[1]。11月に退院後も復帰に向けて治療に専念するが、翌2001年2月に入り肝臓への癌転移により病状が悪化。2001年3月1日11時25分、がん転移による急性肝不全で死去[1]。40歳没。法名は釋尼妙聲。久和の訃報は各局で一斉に伝えられ、嘗て久和が担当した『TXNニュースアイ』や『JNNニュースの森』ではトップ項目として扱われた。3月4日に小金井市幡随院で執り行われた葬儀告別式では、下村健一、杉尾秀哉らが弔辞を読んだ。墓所は多磨霊園[5]。
久和の一周忌である2002年3月1日、久和の遺産の一部を基金として、マスコミ関係の職務経験がある女性を対象とした奨学金「久和ひとみスカラシップ」が設立された。2004年までに計4人を留学生として送り出し、一旦解散した。その後、2008年に選考委員長を務めていた筑紫哲也が死去したが、筑紫の遺族の申し出により香典が寄付され、2009年11月に「久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップ」として1人限りの募集を再開している。
人物・エピソード
主な取材
「JNNニュースの森」時代
- 湾岸戦争関連取材 - クウェート
- 雲仙噴火関連
- (ロサンゼルス大地震)
- 阪神大震災
- 尾崎豊1周忌
- 「(コメ騒動)」で外米試食
- 首相官邸前リポート
- 銀座での米作り取材
- (ハリファクスサミット)取材 - カナダ
- 地下鉄サリン事件
- 北海道豊浜トンネル岩盤崩落事故 ※久和にとって「ニュースの森」での最後の取材となった。
「TXNニュースアイ」時代
書籍
- 『まわしをはずしたお相撲さん:大相撲おもしろ雑学事典』(講談社,1987年)(ISBN 4062033666)
- 『結婚までに話し合っておくべき15章:あなたの一生がまるで変わるとき』(青春出版社,1988年)(ISBN 4413014782)
- 『私はニュースキャスター』(岩波書店,1989年)(ISBN 4005001580)
- 功刀達朗監訳 『国連地球社会の選択.1:激動の世界と国連 湾岸戦争の教訓』(PHP研究所,1995年)(ISBN 4569548628)
- 『ニューヨークで見つけた!新しい私:35歳からの留学ストーリー』(ダイヤモンド社,1998年)(ISBN 4478941645)
- 『久和ひとみが伝えたかったこと』(小学館,2001年)(ISBN 4098400693)
- 『久和ひとみ絶筆:子宮がん闘病116日の日記』(小学館,2001年)(ISBN 4093964017)
テレビドラマ出演
関連項目
- JNN共演者関連
- テレビ東京アナウンサー
久和の降板後は、2001年3月末まで残ったメンバーで番組を進行していた。
- その他
脚注
外部リンク
- 久和ひとみさんを偲ぶページ