この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2016年10月) |
丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年5月29日 - 1982年7月23日)は、日本の医師、政治家。参議院議員(4期)。位階は従三位。勲等は勲一等。環境庁長官(第7代)。所属派閥は福田派。青嵐会の結成にも参加した。
人物
1916年生まれ、群馬県吾妻郡出身。群馬県立高崎中学校を経て、1940年、東京医学専門学校卒業[2]。医師免許取得後、同年10月軍医として応召[2]。
1946年7月に応召を終えた後は、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業[2]。開業1年31歳で郡医師会会長、その2年後に県医師会理事就任[2]。1957年、41歳で日本医師会理事に就任[2]。1961年の医療費引き上げで日本の保険医が休診によるストライキをしたときには事態の収拾に当たった[2]。
1962年、第6回参議院議員通常選挙に自由民主党候補として全国区から立候補して当選、参議院議員となった。1968年の第8回参議院議員通常選挙では選挙区を群馬県選挙区に移して再選。さらに1974年の第10回参議院議員通常選挙では選挙区を全国区に再び戻して再選された。
大蔵政務次官、参議院大蔵委員長などを経て1976年に成立した三木内閣改造内閣で環境庁長官に就任。1980年、第12回参議院議員通常選挙で再選されたものの、在職中の1982年2月に発病して同年7月23日、クモ膜下出血のため東京都港区の虎の門病院で死去、66歳[2]。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲六等からの昇叙)、正七位から従三位に叙される[3]。
主な役職
- 日本鍼灸師会顧問
- 日本医師会常任理事