丸山信号場(まるやましんごうじょう)は、かつて群馬県碓氷郡松井田町大字横川(現・同県安中市松井田町横川)に存在した、日本国有鉄道(国鉄)信越本線の信号場である。
歴史
当信号場より熊ノ平駅を経て矢ヶ崎信号場に至る区間は、かつて国鉄・JRを通じての最急勾配区間である66.7‰の勾配区間であり、1893年(明治26年)4月1日より1963年(昭和38年)9月30日まで国鉄唯一のアプト式鉄道にて運行されていた。当信号場は66.7‰の勾配区間の起点に位置しており、ラックレールのエントランス(開始地点)が設けられ、横川駅 - 軽井沢駅間の直流電化後には集電用の第三軌条が設けられた。また、熊ノ平駅までの単線区間の閉塞境界としての役割も担っていた。
1963年(昭和38年)7月15日に同区間をより直線的に結ぶ粘着式鉄道の新線が開通し、1966年(昭和41年)7月2日に廃止された。
年表
構造
横川方が複線、軽井沢方が単線の複線始終端形信号場である。軽井沢方面に安全側線を1本備える。また、横川方面(碓氷峠の反対側)に200‰の勾配を付けた非常時退避用(万一列車が何らかの事由により逆行した場合、引き込んで自然停車させるため)の長さ350mの側線を設けていたが、これは昭和初期に撤去されている。
周辺
丸山変電所
当信号場の東側には丸山変電所跡がある[3]。建物が2棟あり、西の軽井沢側が機械室、東の横川側が蓄電池室。1912年(明治45年)碓氷峠区間の電化時に設置、1963年(昭和38年)のアプト式廃止後は放棄され建物は荒廃していたが、2001年(平成13年)から2002年(平成14年)にかけて修復工事が行われ、ほぼ建築当初の外見に戻された。横川駅そばにある碓氷峠鉄道文化むらの鉄道資料館内に、屋根がつぶれている状態の丸山変電所が写った空中写真が2020年9月現在掲示されている。2棟とも「旧碓氷峠鉄道施設」の構成物件として、1994年(平成6年)に国の重要文化財に指定された[4][5]。