中田 章(なかだ あきら、1886年(明治19年)7月8日 - 1931年(昭和6年)11月27日)は日本の作曲家、オルガニスト。代表曲は「早春賦」であり、「日本の歌百選」に選ばれている。
東京都出身で高嶺秀夫の奨めによって東京音楽学校に進み[1]、甲種師範科および研究科卒業。東京音楽学校教授として音楽理論、オルガンを教えた。
また、大韓帝国皇太子に唱歌を教授する。1929年、大礼記念章を受章。父は旧会津藩士[2]。妻は奥村土牛の従姉で、作曲家の中田一次は次男、中田喜直は三男[2]。(会津会)会員。
主な作品
- 校歌
- 宿毛市立宿毛小学校校歌
- 函館市立弥生小学校校歌
- 福井高等工業学校校歌
- 山形県立山形東高等学校校歌
- 群馬県立前橋高等学校校歌
- 福島県立福島高等学校校歌
- 東京都立園芸高等学校校歌
- 東京都立墨田工業高等学校校歌
- 中央大学旧校歌
- 大分県立日田林工高等学校校歌
- その他
- 編曲
- 雨に濡れて
著書
出典
参考文献
- 牛山剛『夏がくれば思い出す - 評伝中田喜直』新潮社、2009年。(ISBN 978-4-10-314851-7)