中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 2009年2月3日)は、石川県出身の弁護士である。元茨城大学・関東学院大学教授。
来歴・人物
- 石川県石川郡松任町(現・白山市)出身。名古屋陸軍幼年学校2年生の時に敗戦を迎える。
- 旧制石川県立金沢第一中学校・旧制第四高等学校を経て、1953年3月、新制金沢大学(法文学部)法学科第一類を第一期生の総代として卒業。学部在学中、1951年11月、司法試験第二次試験合格。
- 1955年3月、東京大学大学院社会科学研究科民刑事法専門課程修士課程(刑事法専攻)修了(法学修士)。同博士課程中退。
- 1957年4月、弁護士登録。
- 1963年5月、狭山事件の主任弁護人となる[1][2]。
- 1975年2月、日本共産党と部落解放同盟の対立の影響により、狭山事件の弁護人を解任される。「(狭山事件#支援活動)」も参照
- 1989年、弁護士登録抹消。茨城大学人文学部教授。
- 1996年、関東学院大学法学部教授(~2001年)。
- 1997年、弁護士再登録。
- 2001年、日本共産党の推薦を受けて茨城県知事選挙に立候補したが、落選。
- 2009年2月3日、肺がんにて死去。78歳没。
主な担当事件
著書
- 共著『安保条約下の治安体制』新日本出版社、1969年。
- 『国民のための刑事法学―その理論と闘い』新日本出版社、2011年。