成駒屋五代目 中村 福助(なかむら ふくすけ、1900年(明治33年)5月10日 - 1933年(昭和8年)8月11日)は、歌舞伎役者。本名は中村 慶次(なかむら けいじ)、東京築地生まれ。屋号は成駒屋。定紋は(祇園守)。俳名に梅莟、啾雨。五代目中村歌右衛門の長男。愛称に「慶ちゃん福助」。
人物
1904年(明治37年)7月、数え4つの時に東京座で二代目中村兒太郎を襲名し『仮名書太平記』の塩谷の息・竹若で初舞台。1916年4月歌舞伎座『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子で五代目中村福助を襲名。以後は初代中村吉右衛門の相方を務めることが多く、美貌で気品のある芸風で人気を集め、次代を担う若手の花形役者として将来を嘱望されるようになった。1925年に大阪宗右衛門町の新大和屋の梅弥と結婚[1]。
羽衣会を主宰し舞踊活動の充実化を推進していたが、1933年8月11日、神奈川県葉山の別荘で腹膜炎と胸病を併発して急死。33歳没。
当たり役は『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、『春興鏡獅子』の女小姓・弥生、『妹背山婦女庭訓』の雛鳥、『籠釣瓶花街酔醒』の八橋、『仮名手本忠臣蔵・九段目』の小浪など。
実弟に六代目中村歌右衛門。七代目中村芝翫は長男、八代目中村芝翫は孫、六代目中村勘九郎、二代目中村七之助、六代目中村児太郎は曽孫にあたる。
伝記
- 加賀山直三『ある女形の一生 五代目中村福助』東京創元社 1959
福助の登場する小説
- 舟橋聖一『こころ変り』(1950)
脚注
- ^ 『朝日新聞の記事でみる恋愛と結婚』朝日新聞社、1997年、p396