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中村城 (土佐国)

中村城(なかむらじょう)は、高知県四万十市(旧中村市)丸の内に、中世から近世にかけて存在した日本の城平山城跡)である。為松城の別名を持つ。四万十市指定史跡[1]

中村城
高知県
中村城の石垣
別名 為松城
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 不明
(望楼型4重5階、模擬天守)昭和48年
築城主 (為松氏)
築城年 不明
主な改修者  
主な城主 (為松氏)、土佐一条氏山内氏
廃城年 元和元年(1615年
遺構 土塁、石垣、曲輪
指定文化財 四万十市指定史跡
再建造物 模擬天守
位置 北緯32度59分48.97秒 東経132度55分45.63秒 / 北緯32.9969361度 東経132.9293417度 / 32.9969361; 132.9293417
地図
中村城
(テンプレートを表示)

歴史

 
四万十市立郷土資料館

応仁の乱を避けた一条教房が、荘園(幡多荘)であった中村に下向しそのまま土着し、元々この地にいた豪族の(為松氏)が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。

代替わりして一条兼定の時、兼定は豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められて滅亡した。 天正2年(1574年)、吉良親貞が城主になるが2年後に死去[2]関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和一国一城令に伴い廃城となった。

城は西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望できる丘陵に築城され、面積はおよそ10,586m2あり、遺構は石垣が残っている。石垣は1965年(昭和40年)に発見されたもので、中村藩2万石2代藩主山内政豊時代の慶長18年(1613年)に修復されたものであると考えられている。現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守の四万十市立郷土資料館がある。ただし、この四万十市立郷土資料館の建物の外観は犬山城をモデルに設計されている[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「四万十市の文化財-記念文化財の一覧-」四万十市公式HP
  2. ^ https://kotobank.jp/word/-1071079
  3. ^ 四万十市観光情報(学習施設)

関連項目

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