中曽根 雅夫(なかそね まさお、1935年7月17日[2] - 1993年[1]9月2日)は、日本の男性俳優、声優。群馬県出身[1]。東京放送専属劇団、土の会に所属していた[2]。
来歴・人物
1958年よりTBS放送劇団に所属。同期には他に天田俊明や、声優として知られる田中信夫がいる。
特撮テレビ番組『ウルトラマン』の主人公(M78星雲から来た巨大な宇宙人=ウルトラマン)の声、掛け声(効果音)を担当した。しかしタイトルバックに中曽根の名前がクレジットされなかったこともあり、「シュワッチ!」という広く知られた掛け声に対し、中曽根の名はほとんど知られていない。
中曽根はウルトラマンの話し声(人間の言葉を話す際の声)も担当することになっていたが、それが決まった時にはアフレコ収録が進んでおり、第1話でウルトラマンの話し声を演じることはなかった(アフレコの現場にいた編集技師の近藤久が演じた)。しかし、その後はウルトラマンの声を一任されることになった。より良い響きが出るよう、ピアノやお風呂場の中に顔を突っ込んで発声するなどして、よく知られるウルトラマンの声を完成させていった。第33話ではメフィラス星人との会話シーンを担当、掛け声ではなく、ウルトラマンの話し声を演じることができた。
その後東映のアニメ作品などにも声優として出演していたが、俳優として芽が出ることはついになく、さまざまな仕事を転々とした後に家族とも離別、不遇の内に1993年に孤独死した。
声優の田中信夫は死去時の状況について、「1993年9月2日、3時」(田中が中曽根の亡骸を発見した警察から連絡を受けてメモした日付で、この日が【命日】かは、未確認)とし、「風邪をこじらせての、衰弱死か病死」と述べている。警察より田中に照会が行ったのは、遺品の手帳に田中の氏名が書かれ、住まいも近所だったからとの理由だという。しかし、田中は中曽根が近所に住んでいた事も知らなかったとしている。
田中は中曽根について、「見かけはコワモテだったが、優しすぎるほどの優しい男だった」と回想している。死の直前にも田中に「俳優として返り咲きたい」旨を告げていたという。
出演作品
テレビドラマ
- 1964年
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- 青年同心隊 第6話「中仙道つっ走り」(TBS)- 吉永夏録
- 1966年
- 1967年
- 1969年
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- 柔道一直線(第1話のアナウンサー)
- 1970年
-
- 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎(次回予告ナレーション)
- 1972年
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- 愛の戦士レインボーマン(増子アナウンサー)
- ミラーマン(インベーダーの声[6])
テレビアニメ
- 1963年
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- (エイトマン)
- 鉄腕アトム (アニメ第1作)
- 1965年
- 1967年
- 1968年
- 1969年
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- (アタックNo.1)(猪野熊大吾〈初代〉、笠置)
- タイガーマスク(1969年 - 1971年)
- 1971年
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- アパッチ野球軍(網走の父)
- 1972年
吹き替え
演じた俳優
関連書籍
脚注
- ^ a b c “中曽根雅夫の解説”. goo人名事典. 2022年1月10日閲覧。
- ^ a b 『タレント名鑑NO1改訂版』(芸能春秋社)、1963年、134頁。
- ^ 『円谷プロ画報 (1)』(竹書房・2013年)p.194
- ^ 戦闘時の掛け声、および第33話での台詞。中曽根によるウルトラマンの「シュワッチ!」という掛け声は、その後の『帰ってきたウルトラマン』や『ウルトラマンA』、『ウルトラマンG』、『ウルトラマンパワード』、『ウルトラマンネオス(パイロット版)』などにも流用されている。
- ^ 『円谷プロ画報 (1)』 p.199
- ^ 『円谷プロ画報 (1)』 p.214、215
- ^ 池田憲章、伊藤秀明、『ミステリー・ゾーン/未知の世界 傑作選 Vol.3』 Disc 2、ジャケット裏解説文、パイオニアLDC、1998年
- ^ 池田憲章、伊藤秀明、『ミステリー・ゾーン/未知の世界 傑作選 Vol.7』 Disc 2、ジャケット裏解説文、パイオニアLDC、1998年
- ^ 前記のウルトラマンの「シュワッチ!」が完成するまでの経緯や、不明な点の多い中曽根の生涯について、田中信夫らへの取材をもとに記載されている。
外部リンク
- 中曽根雅夫の解説 - goo人名事典
- 中曽根雅夫 - KINENOTE
- 中曽根雅夫 - オリコン
- 中曽根雅夫 - MOVIE WALKER PRESS
- 中曽根雅夫 - 映画.com
- 中曽根雅夫 - allcinema
- 中曽根雅夫 - 日本映画データベース