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中原秀一郎

中原 秀一郎(なかはら ひでいちろう、1954年昭和29年〉1月28日[1] - )は、日本ラジオパーソナリティで、朝日放送[2] の元社員・アナウンサー。定年後も、朝日放送→朝日放送テレビ嘱託社員として、2019年1月31日まで在籍していた。

なかはら ひでいちろう
中原 秀一郎
プロフィール
愛称 ナニワの秀さん・のび太
出身地 大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区
生年月日 (1954-01-28) 1954年1月28日(69歳)
最終学歴 慶應義塾大学
勤務局 朝日放送
部署 監査役会事務局次長
職歴 元アナウンサー
総務局広報部長
編成局次長兼PR委員会事務局長
編成局番組宣伝部ゼネラルプロデューサー
活動期間 1977年 - 2001年2016年 -
ジャンル 報道情報番組ラジオパーソナリティ
出演番組・活動
出演経歴 中原秀一郎のラジオToday
ABCヤングリクエスト
おはよう6

ニュースウェーブABC
(以上アナウンサー時代)
Club JONR
おっちゃんラジオ水曜日
朝も早よから 中原秀一郎です
中原秀一郎のミュージック写真館
アナウンサー: (テンプレート) - (カテゴリ)

アナウンサー時代の愛称は「ナニワの秀さん」「のび太」で、アナウンサー職を離れてからは、編成局次長や監査役会事務局次長を歴任。2019年2月1日からは、フリーアナウンサーとして活動する。

来歴・人物

大阪市東淀川区(現在の淀川区)生まれの中津(当時は同市大淀区、現在は北区)育ち。大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学へ進学した。

高校時代には、小柄ながら野球部で活動していた。大学でも野球を続けようとしたが、厳しい練習を見た途端に断念。「ラジオパーソナリティになって芸能人に会いたい」との一心から、放送研究会で活動するかたわら、東京アナウンスアカデミーでアナウンスの研鑽を積んでいた。研究会での1年後輩に三波豊和、アカデミーでの同期生にテレビ朝日アナウンサー1期生の吉澤一彦渡辺宜嗣古舘伊知郎などがいる。

大学卒業後の1977年に、アナウンサーとして朝日放送へ入社した[1]。同期入社のアナウンサーは、武周雄(たけちかお、現在はABC開発常務)と石原勝(現在はABC音楽振興会出向)。入社2年目には、石原とともに、ABCラジオ全国高等学校野球選手権大会中継で全試合スタンドリポーターを務めた。また、1979年4月1日からラジオ『ABCヤングリクエスト』のパーソナリティを担当。野球などのスポーツ中継で実況を務めるかたわら、『近鉄バファローズアワー』などのラジオ番組にも出演した。

『ABCヤングリクエスト』を降板した1983年4月からは、早朝ワイド番組『おはよう6』のキャスター抜擢を機に、テレビ番組にもレギュラー出演。「ナニワの秀さん」の愛称で親しまれた。また、ドラえもんのび太に似た顔付きから、「のび太」と言われたことがある。

1985年には、夕方の若者向けバラエティ生番組『』で司会。その後、1987年から1989年にかけて、『ニュースウェーブABC』(平日夕方の関西ローカルワイドニュース番組)でメインキャスターを務めた。ナレーションでの番組出演も多く、『ゆらり海遊記』や『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』では初代のナレーターを担当していた。

1995年10月からABCラジオで放送を開始した『秀さんのヤンリク時代』で、ラジオパーソナリティーに復帰。1997年には、平日夕方の情報番組『中原秀一郎のラジオToday』のメインパーソナリティーとして出演した。

しかし、『ラジオToday』が終了した直後の人事異動(2001年)で、アナウンス職から総務局広報部長に就任。広報部長を2年務めた後、編成局次長兼PR委員会事務局長を経て、編成局番組宣伝部ゼネラルプロデューサーとなる。『土曜ワイド劇場』(ABCテレビ制作分)や『アタック25』といった長寿番組のPRを担当していた。さらに、2010年11月の人事異動で、監査役会の事務局次長に就いていた。

アナウンス職を離れてからも、同局が毎週月曜日の早朝に1週間の放送を開始する際には、AMステレオ放送開始(1992年3月)から本社移転の直前(2008年6月)まで中原の声によるアナウンス(「こちらはABC朝日放送です」「おはようございます。今日も一日、朝日放送の番組でお楽しみください」)を放送。アナウンサー時代に収録したラジオCMの一部も、長期にわたって放送に使われていた。

編成局番組宣伝部ゼネラルプロデューサー時代の2009年11月14日には、『Club JONR』のパーソナリティの1人として、8年振りにラジオ番組へ出演。2011年10月1日の番組終了まで、他の元アナウンサー5人と交代でパーソナリティを務めていた。同年11月23日から2012年3月28日までは、監査役会事務局次長職のまま、同局のナイターオフ番組『おっちゃんラジオ』の水曜日「中原秀一郎のビッグウェンズデー」でパーソナリティを務めた。

2014年の誕生日で60歳になったことから、同年3月で朝日放送を定年で退職した。退職の直前には、エー・ビー・シーメディアコム制作のCDボックス「(ABCヤングリクエスト フォーエバー)」(2014年)で、藤原正美とともに「DISC4」のナビゲーターを務めた。

朝日放送とは、退職を機に5年間の嘱託契約を締結。2016年9月26日から2018年12月31日(いずれも月曜日)までは、平日早朝の生ワイド番組『朝も早よから 中原秀一郎です』(44年2ヶ月にわたって放送されてきた『おはようパートナー』シリーズの後継番組)のパーソナリティとして、ABCラジオの番組へのレギュラー出演を再開した[3]2019年1月31日付で嘱託契約期間を満了することを前に、同年1月5日(いずれも土曜日)からは、『中原秀一郎のミュージック写真館』(17:00 - 17:55)のパーソナリティを2020年9月26日まで務めた。

趣味・エピソード

趣味は、釣り・映画鑑賞・日本史研究など。釣りについては、関西チヌ釣り会や大阪チヌ釣り研究会に入るほど、アナウンサー時代から造詣が深い。また、日本ソムリエ協会が実施する(ワイン検定)の「シルバークラス」に合格した経験を持つほか、コミュニケーション能力検定1級などの資格を保持している。

学生時代は、同年齢の南沙織の熱烈なファンだった。大学在学中には、アルバイトの一環として銀座三愛ビル内のDJを担当[4]。また、「ナニワのディスコボーイ」を自認するほど、ディスコへ通い詰めていた。さらに、アリスのドラマー・矢沢透と親交が深く、現在も交流が続いている。アナウンス職を離れてから出演した上記の番組では、ディスコミュージックや最新のポップスを積極的に流したほか、ライブへ足を運ぶほどのサンボマスターファンであることを公言していた。

単独で進行していた『朝も早よから 中原秀一郎です』のスタジオに愛用のコーヒーカップを持ち込んだり、同番組の生放送中に、リスナーへ断りを入れたうえで必ずコーヒーを飲んだりするほどのコーヒー好き。この嗜好にちなんで、同番組では、「朝も早よから ほろにがコーヒー」(番組オリジナルのコーヒーバッグ)を希望するリスナーに進呈していた[5]。同番組のパーソナリティが芦沢誠桂紗綾(いずれも朝日放送テレビアナウンサー)に代わった2019年1月以降も、放送中のコーヒーブレイクや「朝も早よから ほろにがコーヒー」のプレゼントを継続していた(現在はいずれも終了)。

出演番組

過去

朝日放送アナウンサー時代

ABCテレビ
ABCラジオ

アナウンス職からの異動後

いずれもABCラジオの番組

脚注

  1. ^ a b 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、253頁。(NDLJP):12276264/127。 
  2. ^ 社員として勤務していた当時は認定放送持株会社移行前の旧法人(移行後の朝日放送グループホールディングス)。
  3. ^ 川添アナ「おは朝」に備え「目覚まし電波時計買った」(『スポーツニッポン2016年9月13日付記事)
  4. ^ 自身がパーソナリティを担当した2009年11月14日放送分の『Club JONR』より
  5. ^ Facebook上の『朝も早よから 中原秀一郎です』公式アカウントへ2016年11月24日付で投稿された記事 を参照
  6. ^ 続くサビの末尾「僕は」に相当する投稿を小川恵理子、「汽車の中」に相当する投稿を桑原征平が読み上げ、出来上がったフレーズの面白さを競うというもの。
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