中井 光次(なかい みつじ、1892年(明治25年)10月5日[1] - 1968年(昭和43年)4月9日[1])は、日本の政治家、内務官僚。大阪市長(第10・12代)。
経歴
静岡県出身。大阪府立市岡中学校6期、1917年に東京帝国大学卒業。内務省に勤務し、各府県の内務部長・警察部長を歴任。1936年4月1日から9月2日まで島根県知事(官選第32代)、その後大阪市助役を務める。
1945年9月8日から1946年12月13日まで第10代大阪市長を務める。1947年、第1回参議院議員通常選挙で当選(大阪府選出)、民主党、国民民主党に所属。1951年3月31日まで務めた。
その後第12代(公選2代目)大阪市長に当選(1951年4月25日 - 1963年3月23日)。その間、全国市長会の第5代会長(1952年11月20日 - 1954年6月18日)も務めた。
著書
- 『大阪港史』(全3巻) 中井光次・太田久治郎編、大阪市港湾局、1959年-1964年