地理
西を伊予灘(瀬戸内海)に面した漁村であった、海岸に山地が迫る地形であるが、(上灘川)に沿ってわずかに水田等が開けていた。 現在、伊予市の南西部に位置する。
- 山 (明神山)、(牛の峰)、本尊山
- 川 上灘川
歴史
藩政期
- 大洲藩領であった。
- 藩の奨励により、さらし蝋づくりが行われ、一時は10軒程度の問屋が軒を連ね、郡中港から出荷していたとされるが原料を内子方面に求め、太平洋戦争時まで続いた。
- きんちゃく網による鰯漁が行われていた。
明治以降
- 明治22年12月15日 - 高岸(たかぎし)、上灘(かみなだ)、高野川(こうのかわ)の3箇村が合併して上灘村が成立
- 大正10年9月3日 - 町制施行により上灘町となる。
昭和以降
- 昭和の合併により下灘村と合併して双海町となり、自治体としては消滅。
上灘町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 高岸 ━━━━┓ 大正10年9月3日町制施行 上灘 ━━━━╋━━━上灘村━━━━上灘町 ━┳━┓ 高野川━━━━┛ い ┣━ 双海町━━━━┓新設合併 下灘村━━━━━━━━┳━━┛ ┃(平成17年4月1日) あ ┣伊予市 伊予市━━━━┫ 中山町━━━━┛ あ 明治41年9月30日 大字石畳を喜多郡満穂村へ編入 い 大正14年4月1日 一部が南山崎村へ編入 (注記)下灘村以下の合併以前の系譜はそれぞれの記事を参照のこと。
交通
鉄道
- 国鉄予讃線 伊予上灘駅
道路
- 伊予灘に面して道路はあったものの、海岸が迫り、幅員の十分確保されていない区間も多かった。現在は国道378号が貫通し、快適なドライブルートとなっている。