三枝 義一(さいぐさ よしかず、1928年 - 2012年[1])は山梨県甲府市在住の日本のアマチュア天文家、2個の彗星を発見したコメットハンター。本職は山梨放送開局時からの放送技師。
1948年ころから(原田参太郎)の指導の下で彗星観測をはじめ、1970年頃から原田が研磨した20cm反射望遠鏡を用いて眼視で彗星捜索を始める[2]。500時間に及ぶ捜索の末、1975年10月5日におおぐま座に9等級の新彗星を発見。ほかに愛知県の鈴木繁道、岐阜県の森敬明も発見したため、(C/1975 T2 鈴木・三枝・森彗星)と命名された[3]。1983年5月8日にはアンドロメダ座に7等級の新彗星を発見。ほかに兵庫県の菅野松男、香川県の藤川繁久も発見したため、(C/1983 J1 菅野・三枝・藤川彗星)と命名された[4]。 山梨放送を退職後、1987年頃より1993年頃まで(山梨県立青少年科学センタ-)の天文担当職員を務め、プラネタリウム上映などに携わった[5]。