この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2019年2月) |
三条 公富(さんじょう きんとみ)は、江戸時代前期の公卿。左大臣・三条実秀の子。官位は従一位・右大臣。三条家21代当主。号は唯心院。主に明正天皇(109代)・後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の四代に亘って仕えた。
経歴
寛永4年(1627年)、従五位上に叙爵してから清華家嫡男として速いスピードで昇進し、寛永14年(1637年)左近衛中将に叙されると共に元服。寛永16年(1639年)には従三位権中納言となり公卿に列した。権大納言・踏歌節会外弁・右近衛大将などを歴任。
明暦2年(1656年)、内大臣に叙せられ、万治元年(1658年)まで務めた。寛文4年(1664年)に右大臣に任ぜられるも翌年辞職。寛文12年(1672年)に従一位を授与された。