七五三台風(しちごさんたいふう)は、1932年(昭和7年)11月に東日本を襲った台風の俗称である[1]。七五三の日(11月15日)に襲来したことからこう呼ばれる。1990年の台風28号のように、晩秋の時期に襲来した季節外れの台風であった[1]。
概要
1932年11月7日にフィリピンの東の海上で台風が発生し[2]、ルソン島をかすめて北上した後、北東に進路を変え、13日には沖縄本島の南東を時速 約35〜50kmで北東に進み、14日朝に高知県室戸岬の南方およそ500kmを通過。同日正午頃に静岡県浜松市の南方を通り、23時に千葉県の房総半島先端に達した。そして15日0時、勢力を強めながら千葉県勝浦市付近に上陸し、2時30分に銚子市付近を経て福島県沖へと向かった。
この台風の日本上陸日(11月15日)は、1990年の台風28号(11月30日に上陸)のように1年の中でかなり遅かったが、この台風が上陸した1932年当時は、まだ台風に関する正式な統計が開始されていなかったことに加えて、現在とは台風の定義や観測方法が異なっていたために、現在の基準からすれば上陸時には温帯低気圧へと変わっていた可能性があることなどから、気象庁による上陸日時が遅い台風のリストには含まれていない[3]。
上陸時に温帯低気圧に変わっていた可能性を裏付ける中央気象台の資料もあり、中央気象台が毎月発行していた「気象要覧」によれば「中心から延びる不連続線」など、現在の基準からすれば上陸時には前線を伴っていたと推測できる記述もある。ただし当時はまだ、前線の概念が一般化しておらず、天気図には前線が記されていなかった[2]。
被害
この台風はまれに見る強い勢力であり、東日本を中心に暴風や豪雨、低い気圧をもたらした。関東地方では、明治43年の大水害や大正6年の高潮災害に次ぐ甚大な被害であった[1]。
最低気圧は勝浦市と銚子市で 952hPa (歴代1位の低さ)、最大風速は銚子市で31.5m/s (11月としては歴代1位)、神奈川県横浜市で36.3m/s (歴代2位)、静岡県三島市で29.7m/s (歴代 2 位)、 東京で21.2m/sとなり、また14日の日雨量は東京で169mm (11月としては歴代1位)、横浜市で135mm (11月としては歴代2位)、銚子市で106mm (11月としては歴代2位) などとなっている[1]。
静岡県富士郡元吉原村 (現富士市) では、台風が伊豆半島南方を通過中だった14日19時頃、烈風下で火災が発生、村の3集落250戸が全焼したという。
この台風による全国の被害は、死者・行方不明者257人、 負傷者345 人、家屋の全半壊31,870 戸、床上・ 床下浸水65,330戸、家屋の全半焼 174戸、 船の沈没34隻・流失1,100隻に達する大きなものとなった[1]。
空の非常時
1932年は、1月に上海事変、3月に満州国建国宣言があり、その後日中戦争が激化するなどし、戦時体制が強化されていった年である[2]。
そのためか、1932年11月15日の朝日新聞の夕刊では、この台風を「空の非常時を演出した」と記しており、「お天気博士あきれる 先例や経験だけでは駄目になって来たよ」という、藤原咲平の談話を載せていた[2]。