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一の沢洞窟(いちのさわどうくつ)は、山形県東置賜郡高畠町、最上川支流の屋代川に注ぐ支谷の最奥部(一の沢)にある洞窟遺跡。1980年9月11日に、国の史跡に指定された。この地域には、ほかに日向洞窟や(尼子洞窟群)、(観音岩洞窟群)、火箱岩洞窟群など、十数か所に洞窟遺跡群があり、他に例がないほど洞窟群が密集する地域となっている。
一の沢洞窟 | |
一の沢洞窟 | |
一の沢洞窟の位置 一の沢洞窟 (日本) | |
所在地 | 日本 山形県 |
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座標 | 北緯38度02分50秒 東経140度13分51秒 / 北緯38.04722度 東経140.23083度座標: 北緯38度02分50秒 東経140度13分51秒 / 北緯38.04722度 東経140.23083度 |
歴史 | |
時代 | 縄文時代 |
追加情報 | |
発見 | 1958年 |
発掘期間 | 1960年 |
概要
一の沢洞窟は、谷底から約40m、頂上に近い山腹南斜面に露出した凝灰岩が風化して形成された。規模が最大の第1洞を中心に、その東方100m以内に第2洞、第3洞がある。この洞窟は1958年に発見され、1960年に高畠町教育委員会が発掘調査を行なった。 洞内から前庭部にかけて第1層から第4層にわたるおよそ2mの文化層が堆積していて、基盤に至る。第1層からは土師器や弥生土器、鉄片等が発見されており、第2層からは縄文時代前期の土器・石器が見つかっている。第3層より上位には縄文時代早期後半の土器・石器類、下位には草創期の土器・石器類が多く出土している。特に第3層下位においては、草創期に属する隆線文系土器様式と多縄文系土器様式とが層位的に出土し、前者から後者への変遷が初めて確認された。 隆線文系土器様式は縄文土器としては最古の様式であり、少なくとも4階程は変遷していることがわかっている。1群は隆線がみみずばれ状の微隆起線に変化し、更に爪形文を併用するなど最終段階の特徴を持つ。この洞窟の多縄文系土器は、「半置半転縄文」の手法が特徴で、縄文土器の名の由来を示す。