リーランド・エドウィン・カーケモ(Leland Erwin Kirkemo、1920年5月28日 - 2010年9月23日)は、アメリカ海軍の軍人である。最終階級は大佐(Captain)である。1970年、当時艦長を務めていた強襲揚陸艦「イオー・ジマ」(LPH-2)が、アポロ13号の宇宙船と搭乗員を回収した。
若年期
1920年5月28日にミネソタ州カス郡ワヘナで生まれ、イタスカ郡で育った。父トルレイフ・カーケモ(Thorleif Kirkemo)は、1903年にノルウェーから家族とともに渡米した移民だった。父は郵便配達員、母は1教室しかない地元の学校の教師だった。
1936年にディアリバー高校を卒業した[1]が、世界恐慌で職がなく、連邦政府の失業対策プログラムである市民保全部隊に入隊した[1]。
軍役
アメリカが第二次世界大戦に参戦してすぐの1942年2月、カーケモはアメリカ海軍に入隊した。当初は無線通信士としての訓練を受けていたが、飛行士に選抜され、ジャクソンビルで訓練を受けた[1]。1944年に少尉に昇進し、海軍飛行士になった。カーケモは(VPB-197)、VPB-102、VPHL-106に所属した[2]。
休暇中にミネソタ州に帰った際[1]、後に妻となる、(陸軍看護隊)に所属するルイーズ・フェイ・リアマン(Louise Faye Liermann)と出会った[3]。ルイーズはその後、ダグラス・マッカーサー大将のスタッフとしてフィリピンや日本で勤務した[2][3]。第二次世界大戦が終わっても、カーケモは海軍に留まり、1946年8月25日にウィスコンシン州ダン郡でルイーズと結婚した。2人の間には、娘1人と息子2人がいた[1] 。
1949年3月にミネソタ大学を卒業して准学士号を取得した[4]。その後、カリフォルニア州モントレーの海軍大学院を卒業し、カリフォルニア州の(モフェット海軍航空基地)の重攻撃飛行隊に配属され、核兵器運搬訓練を行った。その後、ニューメキシコ州(サンディア基地)の第7重攻撃飛行隊((VAH-7))を経て、バージニア州ノーフォークの第1重攻撃飛行隊のスタッフとして勤務した[2]。
1954年に(海軍兵器試験場)に配属され、アトラスミサイルの開発を行った。アラバマ州(マックスウェル空軍基地)の(航空指揮幕僚学校)を卒業した後、重攻撃航空団の訓練士官、第2重攻撃飛行隊(RVAH-2)の作戦士官を務めた。カーケモはRVAH-2を率いて空母「コーラル・シー」で西太平洋に2回派遣され、A-3スカイウォリアーを操縦した[2]。RVAH-2は、優秀な部隊に与えられる"E"賞と作戦部(CNO)安全賞を受賞した[1]。
その後、太平洋軍(CinCPAC)の司令官に就任し、ネブラスカ州オマハの(オフト空軍基地)の統合戦略計画の立案にCinCPAC代表として参加した。この間に、(ネブラスカ大学オマハ校)を卒業して学士を取得した。1964年1月に(VAH-123)司令として太平洋艦隊に復帰し、その後、空母「コンステレーション」の作戦士官となった。1966年3月、ワシントンD.C.の海軍作戦部の戦略計画部に配属された[2]。
1968年9月から1969年11月まで、(弾薬船)「(ハレアカラ)」の艦長を務めた[2]。「ハレアカラ」はベトナム戦争において戦艦「ニュージャージー」などへの補給を行った[1]。その後、強襲揚陸艦「イオー・ジマ」の艦長に就任した。「イオー・ジマ」は、地球に帰還したアポロ13号の宇宙船と搭乗員の回収を行った[5]。映画『アポロ13』では、実際のアポロ13号の船長だったジム・ラヴェルがカーケモの役を演じ、トム・ハンクスが演じるジム・ラヴェルと握手をした[6]。
晩年
カーケモは、退役時に住んでいたワシントン州オークハーバーを気に入り、退役後もその地に住み続けた。地元のロータリークラブに所属し、1983年から1984年までは会長を務めた。また、(アメリカネイビーリーグ)やオークハーバー・ヨットクラブに参加していた[1]。
パーキンソン病を患い、長い闘病の後に2010年9月23日に死去した。遺体は、ワシントン州キング郡の(タホマ国立墓地)に埋葬された[1]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i “Leland Kirkemo Obituary – Oak Harbor, Washington”. Whidbey Memorial Funeral & Cremation Service, Inc.. 2021年9月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “USS Haleakala cruise book”. www.navsource.org. 2021年9月5日閲覧。
- ^ a b “Louise Kirkemo Obituary”. www.tributearchive.com. 2021年9月6日閲覧。
- ^ “March Commencement 1949”. University of Minnesota (1949年3月). 2021年9月6日閲覧。
- ^ Kocivar, Ben (August 1970). “Waiting for Apollo 13”. Popular Science 197 (2): 44–46, 982021年9月5日閲覧。.
- ^ “James A. Lovell, Jr.”. Time and Navigation. Smithsonian Institution. 2021年9月5日閲覧。
- ^ United States Naval Military Personnel Command (1984). Register of Retired Commissioned and Warrant Officers, Regular and Reserve, of the United States Navy. Washington, DC: United States Government Printing Office. p. 3982021年9月5日閲覧。