リチャード・プランタジネット・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(英語: Richard Plantagenet Temple-Nugent-Brydges-Chandos-Grenville, 2nd Duke of Buckingham and Chandos, KG GCH PC FSA、1797年2月11日 - 1861年7月29日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党に所属して、1841年から1842年まで王璽尚書を務めた。生誕から1813年までコバム子爵を、1813年から1822年までテンプル伯爵を、1822年から1839年までシャンドス侯爵を儀礼称号として使用した。
(His Grace) 第2代バッキンガム=シャンドス公爵 KG GCH PC FSA | |
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(ジョン・ジャクソン)による肖像画、1830年。 | |
王璽尚書 | |
任期 1841年9月3日 – 1842年2月2日 | |
君主 | ヴィクトリア |
首相 | サー・ロバート・ピール |
前任者 | クラレンドン伯爵 |
後任者 | バクルー公爵 |
個人情報 | |
生誕 | 1797年2月11日 グレートブリテン王国、バッキンガムシャー、(ストー・ハウス) |
死没 | 1861年7月29日 イギリス連合王国、ロンドン、パディントン、(グレート・ウェスタン・ホテル) |
国籍 | イギリス人 |
政党 | トーリー党 |
配偶者 | メアリー・キャンベル |
子供 | (アンナ・ゴア=ラングトン) 第3代バッキンガム=シャンドス公爵リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル |
親 | 初代バッキンガム=シャンドス公爵リチャード・テンプル=グレンヴィル (アン・ブリッジス) |
出身校 | オックスフォード大学オリオル・カレッジ |
公爵として高い社会地位を有したが、離婚に議会立法を必要とする時代にそれを果たしたことと、生誕時点でかなり裕福だったにもかかわらず1847年に100万ポンド以上の債務を抱えて破産を宣言したことで知られた。
初期の経歴
テンプル伯爵リチャード・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル(後にバッキンガム=シャンドス公爵に叙された)と(アン・ブリッジス)(第3代シャンドス公爵の一人娘)の息子として、バッキンガムシャーの(ストー)で生まれた。アンはバッキンガム=シャンドス公爵夫人のほか、法令上はキンロス女卿でもあった。1799年、リチャード・ニュージェント=テンプル=グレンヴィルはすでに三重姓にもかかわらず、国王の許可を受けて妻の家系を姓に追加して、「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」とした[1]。
父方の祖父は初代バッキンガム侯爵で曽祖父はイギリス首相ジョージ・グレンヴィルだった。1808年にイートン・カレッジに入学、1815年にはオックスフォード大学オリオル・カレッジに入学した[2]。
政歴
1818年から1839年まで(バッキンガムシャー選挙区)選出の庶民院議員を務めた後、父から公爵位を継承して貴族院に移籍した[2]。1841年9月、サー・ロバート・ピールによって枢密顧問官[3]と王璽尚書に任命されたが[3]、1842年2月に辞任した。1835年に(ロイヤル・ゲルフ勲章)グランド・クロスを授与され、1840年にロンドン考古協会フェローに選出され[2]、1842年にガーター勲章を授与された[4]。
私生活
1819年、(第4代ブレッダルベイン伯爵ジョン・キャンベル)中将(後の初代ブレッダルベイン侯爵)の娘メアリーと結婚した。2人は息子リチャードと娘(アンナ)をもうけたが、バッキンガム=シャンドス公爵が財産を使い果たしたため2人は1850年に離婚した。娘アンナは後に女性の権利運動に加わった[5]。当時のイギリスでは離婚に議会立法を必要とした。
1847年、バッキンガム=シャンドス公爵は100万ポンド以上の債務(2018年時点の8976万ポンド)を抱えて破産を宣言した。彼は資金を調達するために1841年にサマセットのキーンシャム(Keynsham)の領地を、1847年に(アヴィントン・パーク)を売却した後、1848年8月から9月にかけてついに本領である(ストー・ハウス)を競売にかけ、19世紀における(イギリスのカントリー・ハウス競売)では最大規模のものとなった[6]。
1861年7月、パディントンの(グレート・ウェスタン・ホテル)にて死去、息子リチャードが公爵位を継承した。元妻メアリーはその1年後にあたる1862年6月に死去した[2]。
脚注
- ^ Mosley, Charles, ed (2003). (Burke's Peerage, Baronetage & Knighthood) (107 ed.). Burke's Peerage & Gentry. pp. 2186. ISBN (0-9711966-2-1)
- ^ a b c d (Boase, George Clement) (1890). Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). 23. London: Smith, Elder & Co. pp. 130–131. . In
- ^ a b "No. 20014". The London Gazette (英語). 3 September 1841. p. 2221.
- ^ "No. 20090". The London Gazette (英語). 12 April 1842. p. 1017.
- ^ Elizabeth Crawford, ‘Langton, Lady Anna Eliza Mary Gore- (1820–1879)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 accessed 7 Nov 2017
- ^ Beckett, J. V. (1994). The Rise and Fall of the Grenvilles: Dukes of Buckingham and Chandos, 1710 to 1921 (英語). Manchester University Press. pp. 228–230. ISBN 9780719037573. 2018年10月10日閲覧。
関連図書
- Spring, David; Spring, Eileen (1956). "The Fall of the Grenvilles, 1844-1848". Huntington Library Quarterly (英語). 19 (2): 165–190. doi:10.2307/3816224. JSTOR (3816224)。
- Fisher, David R. (1986). "TEMPLE NUGENT BRYDGES CHANDOS GRENVILLE, Richard Plantagenet, Earl Temple (1797-1861)". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月10日閲覧。
- Fisher, David R. (2009). "TEMPLE NUGENT BRYDGES CHANDOS GRENVILLE, Richard Plantagenet, Earl Temple (1797-1861)". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月10日閲覧。
外部リンク
- Memoirs of the Court and Cabinets of George the Third, Volume 1 (of 2)
- Memoirs of the Court and Cabinets of George the Third, Volume 2 (of 2)
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Duke of Buckingham and Chandos(英語)
- Richard Grenville, 2nd Duke of Buckingham and Chandos - ナショナル・ポートレート・ギャラリー (英語)
- "リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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先代 (ウィリアム・セルビー・ラウンズ) (トマス・グレンヴィル) | 庶民院議員((バッキンガムシャー選挙区)選出) 1818年 - 1839年 同職:(ウィリアム・セルビー・ラウンズ) 1818年 - 1820年 (ロバート・スミス) 1820年 - 1831年 (ジョン・スミス) 1831年 - 1835年 (サー・ジョージ・ダッシュウッド準男爵) 1832年 - 1835年 (サー・ウィリアム・ヤング) 1835年 - 1839年 ジョージ・サイモン・ハーコート 1835年 - 1839年 | 次代 (サー・ウィリアム・ヤング) ジョージ・サイモン・ハーコート (キャルドン・ドゥ・プレ) |
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